2009年9月25日金曜日

映画の話「ワールド・オブ・ライズ」「ギルバート・グレイプ」

先日ディカプリオとラッセル・クロウの「ワールド・オブ・ライズ」を観た。
TSUTAYAでこれを手にした時借りようと思った動機は、単純に監督がリドリー・スコットだったから。もちろんディカプリオも好きな俳優だったことも手伝って。
久しぶりに硬派のいい映画だった。これを観て連想した映画はケヴィン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブス」白人が有色人種の世界で暮らすうちに、世界の頂点に立つ米国(白人)という存在価値に疑問を抱き、ついには現地人の女性と恋に落ちるという意味で共通するイメージがある。これにスパイものに付きもののスリル&サスペンス&バイオレンスが全編渦巻き、とても面白かった。
それともうひとつ。最後のシーンでCIA上司である鼻持ちならないラッセル・クロウが、辞職しようとする部下のディカプリオに言うセリフ。
「本当に辞めるのか?俺の元を去るということは、アメリカを捨てるということだぞ」...対してディカプリオがすかさず吐き捨てるセリフが、
「自分のことをアメリカなどと呼ぶのはよせ!」
これは筆者の曲解かもしれないが、かつてブッシュ政権下のアメリカが先の戦争における失敗を教訓として、「世界のリーダーであるアメリカ」という自負...というより勘違いにようやく気づき、「優等生なら何をやっても許される」という傲慢さを恥ずかしいことと考えるアメリカの人たちが増えてきたのではないか?
その現れが上のディカプリオのセリフに思えてならない。(考え過ぎかもだが)
ディカプリオつながりで最後にもう一発。
好きな映画のひとつに昔観た少年ディカプリオと青年ジョニー・デップの「ギルバート・グレイプ」がある。この二人がのちに指折りのハリウッドスターになるとはね。ディカプリオは知的障害者の役を演じたのだが、初めて彼を見た筆者はマジ、本当の知的障害のひとを抜擢して役を付けたのかと思ったほど素晴らしい演技。カッコイイ男は、とかくそのイケメンぶりに目が行きがちだが、実力を伴ってこそ本当にイイ男と称されるわけだ。
単に「イイ男」なら外見は必須条件であるが、「本当にイイ男」の条件には必ずしも「外見や容姿」は含まれない...というのが筆者の持論であるが、女子のみなさんはいかがでしょうか?

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