2010年4月17日土曜日

1Q84=1Q84億

1Q84...とうとう出ましたね、BOOK3が。
筆者熱狂的なハルキニストではないけど、小説を読むのが大好き活字中毒一歩手前のニンゲンとしては腰が落ち着かない一日でした。好きな小説家は誰?と訊かれれば躊躇なく村上春樹と即答出来る。早く手に入れたいのは山々だけど仕事の都合で買いに行けず。仮に買えたとしてもちょっと読む時間がなく、敢えて手元に置かないことにした。落ち着いてからゆっくり読みたいもんね。
でも...明日も恵比寿で夜から打合。たぶん本屋のインクの匂いに誘われてフラフラと立寄り、夢遊病者のようにBOOK3の売り場へ向かい、気がついたら本を手に取りレジに並んでいるに違いない。もし売り切れならそこで俄然覚醒し、都内中を血眼で探しまわるかもしれない。桃ラーを探すエネルギーの1Q84億倍くらいかけて。
「風の歌を聴け」で今までにない作風に開眼し、「ノルウェイの森」で小説世界の素晴らしさに全身が痙攣し、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」でどっぷり活字を追うことの快感に浸り、「ねじまき鳥クロニクル」で消えた猫の行方を案じ、「海辺のカフカ」で図書館の15歳の少年に成りきり、そして「国境の南太陽の西」の主人公のような男の人生に憧憬の念を抱きつつ、未だにその男から1Q84億光年も離れたところにいる自分を発見しては、嘆息を漏らし毎日を暮らしている...。
若者の活字離れ...と言われて久しいけれど村上春樹が1Q84人もいれば日本の出版業界も活況を取り戻すに違いない。でも村上春樹「的」作家は昨今たぶん存在すると思うけど、やはり村上春樹は世界中にひとりしかいない。オンリーワンの存在だからこそ読者は新刊を渇望するのだろう。
こんなヘナチョコ「晴耕雨読」ブログだけど、いろんな作家の文体や言い回しなど影響を受けているんだと思う。例えば村上春樹の絶妙な比喩的表現。一つひとつが、キリマンジャロの頂上に置かれた一個のダイヤモンドのような白い輝き。時にはヴィクトリア瀑布の滝壺に沈む一個のエボナイトのような黒い輝き...みたいな。どちらにも共通してるのは研磨され尽くしているということ。
この写真のようにページをめくらずとも村上春樹の本という存在を眺めているだけで、バーボンのオンザロックが1Q84億杯はいけちゃう私です。もっとも村上さんはスコッチ党だけどね(^^)



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