2011年4月3日日曜日

野球ができる喜び

宮前連盟専用募金箱を作ったハナシは書いた。これを然るべき場所、然るべき担当者へ渡したいのだけれど、自分にはアシがない。その時の記念誌連絡網のやりとりを大公開...したいのだけれど、長文だし削除・編集が結構たいへんだ。で、ダイジェスト版。小生が「車を持ってないのでいっそ、ヘリをチャーターし募金箱を空輸しようか」と書けば編集長から「車でとりに行くからそのかわりチャーター代を募金してくれ」と返され、Saitoh本部長からは「明日フレンズのグランドへ我が家の愛車ジープチェロキーでとりに行くよ」....となった。
今日昼頃、颯爽とNishimura編集局長とSaitoh営業本部長おんみずから宮前区の端っこ我が有馬村へ登場。ご自慢のJeepを駆って。車体は純白に塗装されサイズはJeepの半分、ハマーの1/100くらいにコンパクトに改造チューンナップされていた。白地のボディーには「越の寒梅」「八海山」「魔王」などの高級ブランドのロゴが所狭しと描かれとても素敵な車だった。帰りしな、ハマーには絶対出来ないであろうたった5秒間での軽快な切り返しの華麗な運転テクニックを披露し、募金箱二つを胸に抱え二人は去って行った。

午後は一時は震災による中止も検討された「村山杯」初戦。
15:6で勝ったけれど両チームの投手の四球の多いこと多いこと。これを如実に語る記録をひとつ。うちの先発が6者連続フォアボールを出せば、その子の攻撃時の打席の記録は4打席全部四球である。どっちもどっち。大量点のゲームには付きもののエラーがほとんどなかったこともありちょっと不思議な試合であった。
ベストプレイヤー賞はTaguchi選手。4打数3安打3打点。高めの見逃せば明らかにボールの球を打つとドンピシャリの長打になる、荒削りではあるけれど試合ではいいところを見せる6年生。入部当初はジコチュー、勝手な振る舞いで周囲を困らせたが、負けず嫌いで心がピュアの裏返しだったのだろう。今や打席に立つと何かを期待させるバッターの一人になった。

まだ遅くない。みんなも頑張れ。被災地で好きな野球が出来ない子どもたちのぶんまで。
この子たちに、好きな野球が出来ることの幸せをわからしめるのは、自分たち大人の義務・使命ではないだろうか。
何故か?
この子たちがこれからの日本、世界を担っていくことになるからだ。
そんな世代に「人の心の痛みがわかる」ことを教え説くことは、今募金すること以外に、親や大人が出来ることのひとつではないだろうか。
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