2011年5月7日土曜日

ささやかな偶然の連鎖

昨日のブログの冒頭は...「1Q84」年じゃない...と、筆者の一番敬愛してやまない作家村上春樹の本のタイトルで書き始めた。今頃、青豆と天吾はどうしているのだろう?いびつな緑の月は今も浮かんでいるのだろうか。

朝電車に乗った。黄金週間の中日、車内はさすがに超空いている。
「森羅万象の中で有機的なるものと無機的なるもののちょうど中間に位置するモノは果たして地球上に存在しうるのか?」という長年の命題に、GWの電車の中で思考に取り組むには筆者の頭は疲弊しきっていたので、そそくさとバッグから文庫本を取り出す。
先日BOOKOFFで買い求めた村上春樹の「東京奇譚集」を開いてみる。以前読んだ覚えがあるのだけれど、カブっていたとしても村上春樹なら何度読んでもいいや、250円だし、と思って買ったのである。昨日TVでタモリが言っていたのをふと思い出した。「本を読んでいると半分くらいまで読んで、昔一回読んだ本だったことに気づく」まさにこれだった。2ページ読んですぐ思い至った。それでもやはり面白い。「奇譚」(きたん)とは、偶然の折り重なりなどの不思議なお話というほどの意味あいである。作者本人の見聞、または実体験をもとにした話を小説ふうに書いている本だ。やはり昔読んでいた。「昨日タモリが言っていたのと偶然おんなじじゃん」とニタリ顔になる。

ジャケットの内ポケットが震える。携帯を取り出しメールの確認。
昨日のブログに匿名の方がコメントしていただいたようだ。誰かがコメント欄に書込むと、Googleの機能が働き自動的に筆者携帯へ転送される設定にしてあるんである。匿名さんと言っても身近な人ならばすぐわかるわけで、宮前野球連盟の編集長N村さんであった。返事を返したら氏から更にメールが来た。

文体が晴耕雨読と似てました。小田嶋隆は「晴耕雨読」の熱心な読者かもしれませんね。
長文ですが「なるほど、なるほど」と思えるところが「晴耕雨読」同様、多々あったものですから、よろしかったら覗きにいってみてください。」

晴耕雨読「せいこううどく」を「うんこで耕す」と読み替えた強者もいたりして、いつか五木寛之ふうに「青年はうんこで耕す」というマニアックな別ブログを起ち上げようかと画策したりするほど筆者はヒマではない。
N村さんと「晴耕雨読」に関してちょっとメールをやり取りしてる最中に、いつの間に電車は地下鉄路線へ。とある駅にて白い杖を持った老人が付き添いの娘さんとおぼしき女性と乗り込んで来た。目が悪く耳も遠いせいかかなりの音量で話す老人。
「.....んだからね、この歳になると思うわけよ。やっぱり人生「晴耕雨読」だなと。ん?わかんない?晴れた日は畑を耕し、雨が降れば家で本を読むわけだよ....」
思わず携帯画面から目を離し向かいに座った老人を見てしまった。

昼間秋葉原の創作和風パスタの店で超まずいスパゲッティーを食し、帰路本屋に寄った。筆者の辞書に載っている「本屋」とは「天国」と同義語である。念願の別役実の「道具づくし」の文庫本を発見し欣喜雀躍、喜々として購入す。
これは間違いなく昔読んだ本だ。その単行本は人にあげてしまったので手元にはなく、もう一度読みたくてずっと探していたのであった。「文章」「活字」が好きな方にはお薦めの一品であること間違いなし。
最後のページを見たら、文庫化は2001年だけど、単行本が大和書房から刊行されたのは「1984年」だった。
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