2013年1月26日土曜日

渋谷今昔物語

18歳の4月。東京デザイナー学院インテリアデザイン科の学生だった僕。
山形の田舎から出てきた僕は、東京の人の多さにまず驚いた。新宿の国鉄と小田急と京王のパズルのような駅の改札に何度も迷ったり。新橋ガード下の券売機で切符を買ってる時、上を通過した電車の轟音で真剣に地震だと思ったり。彼女に連れられて行った原宿の古着屋で、どうしてこんなボロジーンズがこんなに高いんだろうと不思議に感じたり。

上野の森美術館での卒業制作展で賞までもらったけれど、学生を終えた僕は就職することなど眼中になく、単身アメリカへデザインの留学生になるため、渡航費用と学費を稼ぐべく、朝から晩までアルバイトに明け暮れる毎日。「日刊アルバイトニュース」を見て応募した何個目かのバイト先は下北沢の居酒屋だった。屋号は「雷や」

社長はもの凄く精力的な人だったが声が出せない病気で、いつも機械を通して会話をしていた。大酒を飲んでも深夜に車で平気で帰って行くような人物だった。店長はもの凄く紳士的な人で相手の心を読み、相手の立場に立って思考することが上手な人物。僕たちバイト仲間からは兄貴的存在の尊敬できる人だった。そのS店長が中指にはめていたゴールドのシンプルな指輪。僕は真似をして下北の質屋で同じものを買った。これは今でも自分の中指に収まっている。

バイト仲間は全員個性的な連中ばかり。大らかで包容力のあるベテラン料理人、前職は屠殺場で働いていた人、長髪の日大の学生でバンドをやっていたやつ、普通すぎるくらい普通の学生バイトくん....。そんなバイト連中を引き連れてSさんがメシを驕ってくれた。0時に店が暖簾を降ろしたあと、「よしっ、みんなでメシ食いに渋谷行こう」

その頃の僕は新宿界隈を中心にうろうろしていたしていたので、渋谷にはあまり馴染みがない。交差点から少し入っただけの深夜の渋谷は人通りも少なく、今では想像もできないほど淋しい街だった。台湾料理屋で酩酊した僕はどうやってアパートに帰ったかいまだに謎だ。

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光陰矢の如し。青年老い易く学なり難し。
一人称の「僕」も「僕」から現在の「筆者」へ戻る。
時は流れて2013年現在のシブヤ。24時間眠らぬ街となり、日本でも有数の大都市に変貌を遂げた。そのシブヤに今日また新たな都市計画が東急電鉄から発表されたんである。2018年開業を目指す壮大なプロジェクトなんである。駅ビルの東急東横百貨店自体が建て替えられ、周辺をいくつかの街区に分けての大規模都市再開発だ。そう言えば今年の3月には東急東横線と副都心線が相互乗り入れ開始するし。とどまることを知らぬシブヤである。

このニュースは日経新聞系のメルマガ「ケンプラッツ」を読んで知った。
画像はケンプラッツと東急不動産のHPから。
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