2016年1月16日土曜日

物事の本質、子どもの可能性

年末年始はほぼ毎日、映画「スターウォーズ」を何編も観つつ、日中はQueensの記念誌データ制作デザインに身を任せて過ごしたんであった。

年が明けてQ記念誌LINEグループも活況を呈して、頻繁にやり取りがなされる。昨年LINEグループ作成を提案してやはり良かったと、今更ながら、筆者の先見の明に自画自賛しちゃってからのち、そんなことをブログに書いてしまう我が身の浅はかさに自己嫌悪に陥ったりもするんであった。Q記念誌もいよいよ佳境の入口まで辿りつかんとする、今日この頃なんである。内容は発刊前なのでここでつまびらかには出来ない。

今日15日は終日設計仕事ではなく、クライアントとメールと電話でのやりとりに追われた。打合だけで成果物がないので今日一日の売上はゼロ円である。因果な商売ではある。
夕方から四谷で呑む機会があり、田園都市線+半蔵門線をチャーターして急行。本当はヘリをチャーターしたかったんだけれど。
その帰り道の渋谷で見かけた光景。
若い頃は渋谷界隈の隅々まで徘徊し呑んだくれたものだった。東急プラザは紀伊国屋書店があったので何万回通ったか知れぬ。その東急プラザは建て替えの憂き目にあって今はすっからかんの坊主頭の更地になっていた。それでも夜間にも関わらず建設の槌音があたりに響いていたのだった。
驚いた。東急セルリアンタワーがこんなにも間近にあったとは。プラザの影に隠れていたせいでそれが分からなかったのである。大きな山や巨大建造物はすぐそこに存すると思っても、実際は遠くそれ相応の距離があることは万人の知る常識。それを鑑みてもまだお釣りが来るくらいなんである。

転じて...。
物事の本質は見た目だけで判断してはならぬ、という思いに至ったのだった。
例えば少年野球でも入部したての子どもの一挙手一投足を、たった一瞥して決めつけてはならないと、自戒の念に改めて思いを馳せたんであった。子どもの持っている可能性は、疲弊した大人のそれに比べれば、ほぼ無限なんである。


帰宅後、ちょいとヘロヘロになりながらMacを起動しメールチェック。
やっべ!
クライアント3社から3本のメール着信。1本は月曜中にアップして欲しい旨。明日はQ記念誌制作委員会の打合と、夕方からはマンション理事会に出席せねばならぬ。日曜はフレンズ父母会と夜は新年会兼壮行会の開催。千手観音ばりの手が欲しい、それは高望みとしてもせめて猫の手でいいから借りたいものである。パーマンのコピーロボットを入手出来れば理想だ。
ブログなんて書いてる場合ではないんである。

...と、思いつつやっぱり書いちゃうブロガーの、言わば一銭にもならない一種の職業病なんであった。

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