ラベル チーム30周年記念事業 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル チーム30周年記念事業 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年3月8日金曜日

「走れメロス」

「走れメロス」
太宰治の代表作である。友人との約束を守るために野を駈け山を越え走りに走るも、しかして間に合わず、約束どおり心臓を切り取られるかと思いきや、裁判長がメロスの心臓を担保にした悪徳高利貸しに言った一言は「いいでしょう、心臓を切り取りなさい。しかし、血を一滴たりとも流してはならぬ」大岡裁きの典型である。(※小学生の頃の記憶なので上記ストーリーは曖昧ミーマインではあるけれど)と、ここまで書いて思い出した。序盤途中から「ベニスの商人」の話にすり替わってしまったことに。なんという失態!てへっ。メロスはちゃんと約束を果たし友の命を救ったのであった。

やっと2013年フレンズ「野球スタメンボード」の完成なんである。
なんとかオレンジボール大会までには間に合わせたかった。先日来から仕事の間隙を縫って制作に集中没頭、昨日完成。さすがにボロンボロンのケースは破棄し、新品のケースに衣替え。

今日はお台場のクライアントと打合。火急を要する図面は今日明日中に一発描いて、次は来週渋谷あたりで打合して....。帰宅したら今度は別のクライアントから電話。一週間くらいでDコーヒーショップの図面を。土曜はオレンジがあるので外せない。勢い日曜は仕事になってしまった。参ったな....。

でも昨日までに「野球スタメンボード」を完成させたのは偶然の幸い。明日からはフレンズ野球どころではなくなるわけで。
メロスは全裸で死ぬほど走って期限を守った、筆者も全裸にこそならなかったが死ぬほど走って間に合った。今年1年これでまた、こんにゃろが活躍してくれるに違いない。
ところがどっこい、スットコドッコイ。
4月には新チームの大会を控えているQueensの「野球スタメンボード」のプレートも更新制作しなきゃなんである。
参ったな....(^-^)
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2012年4月15日日曜日

努力は君たちを裏切らない

村山実杯の日曜である。対戦するは高津区の新作第2少年野球部。前評判によると爆発的圧倒的絶対的な力はないものの、選手一人ひとりが野球をよく知っていて、良く打ち良く守り良く走る手堅いチームとの情報を入手。試合運びも評判どおりで、しかも礼儀正しい子どもたちであった。
試合会場は末長小学校ドーム。トイレも洋式でピッカピカのおしゃれな学校である。
どんだけオシャレかと言うと、体育館の屋根には早春のやや冷たい風を受て、「サクラ舞い散る中で...ひゅるり〜ら♪」と風見鶏が回っていたのである。(ワカリマスネ?)

2回3点先制されその裏。筆者のスコアブックの上にひゅるり〜らとサクラが舞い降りてきた。

フルスイングで小さい子でもよく打つチームだった。5回表終了時で6:0のまたしてもコールドペース。「負け癖」付くならまだしも「コールド負け癖」が付いてしまったんではたまったもんじゃないわけで。裏のフレンズ攻撃でかろうじて3点を返す。2アウト走者無しから四死球+暴投がらみ+Inoueのタイムリ−ツーベース。しかし結果は9:3の完敗.....。

ベストプレイヤーは2安打2打点のエースInoue。
それと...Shouya。トップバッターとして3打数2安打は賞賛に値する。未だに3,4年生くらいの体格でどうしても力負けしてしまう彼だったけれど、最近やっと投球に打ち負けないバットスイングが出来るようになった。去年までボテボテの内野ゴロが、最近はライト線を鋭く飛ぶ打球が打てるようになった。目を見張るものがある。そのことをあとでShouya母に言ったら彼女からこんな答えが....。「おまえは身体が小さく非力なんだから、もっと体を鍛えなきゃダメよ」と言ったそうな。チームOBの兄の監修のもと、今年から自宅でダンベルと握力を鍛えるトレーニングをし、素振りにも熱が入るようになったそうだ。どうやら効果が顕(あらわ)れてきつつあるようだ。筆者得心す。最終学年の年、頑張ってほしい。
今、ここまで書いてふと、連盟記念誌に載っていた富士見台ウルフのチーム紹介ページにあった手書きの言葉が思い出された。Ogasawara監督の直筆かどうか定かではないが、達筆のペン字でこうあった。
「努力は君たちを裏切らない」

異例ではあるけれど公式戦のあと、同じ新作第2さんと主力を外した練習試合を敢行。結果は7:4で勝ち。先発Mamoru、二番手3年生のRuiのリレー。

サードを抜けたゴロをショートMamoru(後半)がカバーし一塁アウト、2打点のRui、外角を逆らわずレフト線に2塁打を放ったHiro、...。
特筆のベストプレイヤー賞は、初打点を挙げたToyodaだ。
他の子に比べ入部からまだ日が浅く、マイペースタイプでコーチ陣の指導どこ吹く風といったキャラの子であったが、守備も打撃もなんかこのところ進歩を感じる。本人も野球が楽しくなってきたようだ。タイムリー2塁打を放ち2塁に着塁した時の様子を、のちに「すんげえ〜嬉しそうな顔してましたよ」と言ったのは、2塁塁審をやったSuekiコーチの言葉。そう筆者に教えてくれたSuekiコーチもすんげえ〜嬉しそうだった(^^)
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2011年11月7日月曜日

チームを超えて野球を超えて.1

宮前区少年野球連盟設立20周年記念イベント大会。

朝はどんより曇天の雨模様(※前回ブログでの正しいコトバの用法です)
曇天ではあるけれど、このあと大ドンテン返しの晴天は望めないはず。
てっきり中止かと思いきやの開催。日曜早朝のその瞬間、宮前区の少年少女野球に携わる民族の大移動が始まった。

20周年記念誌プロジェクトチームはこの日、記念誌に載せるための写真班を特別編成。花フラさんのNemotoさんのごっついCanon一眼レフをはじめ、各チームから担当持参のデジカメの大集合でもある。小生のNikonP100がオモチャのように見えてしまう。お台場に出現したガンダムとガンプラくらいの差があるわけで。

開会式から始まり、午前中はベーラン・遠投・ボール渡し・ドッジボール・大縄飛び・ストラックアウト・ニアバント競争・球速競争(スピードガン測定)など盛りだくさん。
大運動会の様相を呈して今にも泣き出しそうな空模様とは裏腹に、子どもたちのテンションは上がる。


大縄飛びでは運動神経もさることながら、普段のチームワークがものを言う。有馬子ども会野球部は上々の成績。応援合戦でもひときわ声が大きかった。
ドッジボールのブロックでは普段の学校での遊びとは違い、真剣にかつ楽しく勝負を競い合っている。球速スピードガンでの計測では100キロ超えの選手も出たようだ。これと遠投は筆者見ていないけれど。
昼ご飯のショットは、20数年前の幼稚園の運動会を想い出す。みんなおとなしく和気藹々弁当を開く。ヒッチコックの「鳥」のワンシーンを彷彿とさせる。

今日は疲れた。けれど普段野球以外で見せる子どもらの笑顔がそれを忘れさせてくれる。周年行事として全国的にこんな同じようなイベントを催す地区はあるのだろうけれど、ココ宮前はとても楽しかった。
印象に残ったのはチームの垣根を越えて、違う色のユニフォームの子どもたちが、笑顔で話し合いながら順番待ちをしている姿だった。中学や高校に行けば机を並べるかもしれない仲間だ。
チームを超えて野球を超えて。
我々大人同士の繋がりも嬉しい。試合では真剣勝負だけれど、ひとたび野球を離れれば子どもを中心点とする同心円の中に、我々大人も廻っているんだということを再認識した一日であった。
今日はこんくらいで勘弁しちゃおう。実は瞼(まぶた)に曙が乗っかったくらい眠いのだ。
2部構成で次回ブログは午後の部PART2なんである。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年7月28日水曜日

先達に感謝

ここ2週間ほど「30th○○編」シリーズを中心にして、チームの周年行事を書き散らしてきた。最後の「記念誌編」はさすがにチカラが入る。でもってひとつ忘れていた。式典会場にいらした方には「記念品」を差し上げようと企画されたのが、ありきたりだけど「タオル」。もちろんチームロゴのネーム入り。当初温泉宿のナニナニ旅館だとか、有限会社ナニナニ商店だとかのマイナーイメージがつきまとい、果たしていかがわしいものか?...じゃない、いかがなものか?と思った。ならばいっそ、タオル全体にデカデカとロゴを入れる、いわば「E.YAZAWA」方式の案も浮上。このYAZAWA方式と温泉旅館方式で論議されたけど、結局予算に大きな開きがあり、永ちゃんはあえなく撃沈。
ならばと、小生が記念誌制作の真っただ中にこのタオルの制作までやることに。
一色刷りなので、濃紺地のタオルに白いロゴなら「温泉旅館方式」でもカッコイイはず。ところが印刷の世界に白いインクというのは存在しないのである。家庭用PCのプリンターも4色(いわゆる業界用語でCMYK)で全ての色を表現、白い部分は紙の白地を残すことで白を感じさせている。タオルの場合、上記の案をやろうと思えば白地のタオルをロゴ部分だけ除き、濃紺で染め上げることになる。文字白抜きというヤツですね。もちろん値段もアップするのでこれまた撃沈、海の底。
考えた末に温泉旅館方式」で4つのデザインを考案、時間がないので各者のPCまたはFAXで送り、投票してもらうことにした。ちょっと遊んでみたくもあり。意外なことにキレイに4つに分かれてしまった。各3票ずつ。私はもうこれしかないじゃん、と思っていたけど解らないものだ。結果的に投票にして良かった。
まあ、その後もちょっと制限がありやっとデザインが決まり、Muroi母委員から発注してもらって納品されたのが、写真のもの。
「湯けむりの里・温泉旅館ナニナニ荘・電話番号ナンタラカンタラ」とはほど遠い、なかなかイイ感じで仕上がったと思う。父母たちにヒラリと初披露した時は拍手と歓声も上がったほど。




記念誌の制作に関しては、以前のブログ...30th「記念誌編」誌上公開に詳しいのでここで繰り返すことは省略。でもこの小誌は本当に以前の20周年記念誌の情報がしっかりしていたので随分と助かった。また、悪い表現になっちゃうけど、20年誌を見てここはこう直そう、このコーナーはこんな風に変えちゃおう、こいつはバッサリ切ろうなどといい意味でのタタキ台になってもらった。個人的には少なくとも20年誌よりはいいものを作ろうという励みにもなったわけである。
更に写真の1999年から2009年までのチーム年間成績表。(家のどこかにもっとあるはず)他の全国のチームはどうしてるのか知らないけれど、うちは年末の卒部式で全員に配るのが恒例。チーム全体の全ての成績を網羅してるのはもちろん、個人打撃成績、投手成績、から失策数、全試合結果のスコアボードまで。卒業生に至ってはその子の入部当初からの年間成績を全部はじき出して載せている。手元にあるこれらは同時に私の財産でもある。去年2009年はひとりで作ったがそれまでは先達の方たちが大変な努力で作っていた。写真左の1999年は私の娘が卒業した年で、またここにはないが、1996年は息子の卒業年。あの時の成績表は卒部式の前日6年の親たちが我が家へ集合し、ワープロで作った冊子を皆で手分けして作ったものだ。もちろん制作終了後は飲み会に突入し一年を振り返り酒を酌み交わす。
そうか!そういう意味では私自身も先達のひとりなわけか。(ニガ笑い)
でもやはり自分以外の方たち、チームを支えて来たその時代、その時代のスタッフ・父母たちに改めて感謝したい。




にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年7月23日金曜日

30th「記念誌編」誌上公開

記念誌の誌上公開てゆーかBlog上公開です。
※文中かなり「ジジイが持参」じゃない、「自画自賛」の鼻持ちならない表現が散見されます。胸がムカツク方は「ウコンの力」を飲んでからお読み下さい(^^)
今年の初めにチームの30周年記念事業を提唱、実行委員会を起ち上げ、人選をし役職を決め、ほぼ飲み会で概略をまとめたところで父母会を招集、開催。父母会の承認を得て正式スタート。ここまでのイニシャチブはほとんど私がやった。これからは役職についた役員が各々やっていけばいい。ところが認識の違いなのか、温度差がありすぎるのか、その後も先々の議題や当面の目標、問題点の共有と解決など、ほとんど私が....。俺の仕事じゃないんだけどなあ。仕方ない。時間もない。本来去年から準備委員会を発足させたかったけど、「準備委員会」発足の私の昨年の提案はボツ。まだまだ先と思えば誰しもノンビリしたくなる。
でもなんとか委員会も軌道に乗り...途中ゴタゴタもあり、憤懣やるかたない思いをメールや言動でやってのけたこともある。これも全部確信犯。憎まれてもいいからヒトを動かさないと前進がない。...こんな話はまあ、今となってはもういいやね。私の若気の至り、ガキの証拠です。
さて、記念誌である。
表紙は3回修正した。多くのデザインには2つのパターンがあって、ひとつは「足し算」ともう一つは「引き算」このデザインは前者である。すこしづつアイテムを足していって最終的には印刷直前で3回目のプラス「+」ヘルメットを最後に加えた。
これを加えることにより、左右シンメトリーの構図を壊せたのでよかったかな。
ページをめくると代表の挨拶から始まり、各寄稿文が11ページ。感動的な寄稿文もあり、読んでいて楽しかった。文章の上手いヘタはともかく、やはり胸に迫る文というのは内容がモノを言うのだなあと実感。他チームからの寄稿文には、そのチームのグランドへ赴き、子どもたちの笑顔やイメージ写真なども載せた。
次が30年間のOB名簿、コーチングスタッフ、年間成績の30ページ分。
この記念誌の大きな特徴のひとつは、写真を多用してることと、データを機械的に印刷所任せでただ載せるのではなく、全ページレイアウトからフォントの選択、編集まで私の手を通しデザインしたこと。丹誠込めたつもりだ。
最初にOBたちの住所電話番号などはカットしようと提案。ページ数を圧縮するためと、個人情報保護の観点からだ。これらを全部年度ごとに1ページに凝縮した。
20周年記念誌がしっかりしていたので、途中まで流用。20から30年目までのデータはいろんな人に協力いただき、またスコアブック集計などの記録が威力を発揮し制作。「30年間ものチームの総合成績などが正確に残してるなんて驚いた」とあとから他チームの方から言われた。先人の努力に感謝ですね。集合写真はYanagisawa代表やKanedaコーチが載っている写真を優先的に選択し掲載。2001年は良い写真がなく難儀した。フレンズ以外の人にも楽しく読んでもらおうと、ページ左下にその年のTOPICSを設けた。○○年は現巨人監督原が入団した年、とか○○年はウォークマンが16万円もしたとか、湾岸戦争勃発とかとか...。
Ohmori父ありがとう。右下イメージ写真にはバットケースや、スプリンクラーのアップの写真など、また、子らの顔をトリミングしてカットし、年代を特定させないようにした。モノクロ印刷ゆえの利点。ほとんど今回のために撮りまくったものを使ったんだけれど、加工編集は「楽しい地獄」だった。
集合写真ご提供の方々ありがとう。
広告である。54社25ページ。メールで送って下さった数社を除くほとんどの広告は手作り原稿。これをまずInoue母がWord原稿にリライト。これは大変な作業だ。それをもらい僕のMacのIllustratorというソフトで加工、全体をデザインしフィニッシュ。時間を作り広告主の店舗の写真などを撮りにいき、また文字だけの広告にはなんとか見栄えよくアレンジした。頼まれもしないのにね。
54社分のデザインというのは死ぬかと思った。でもみなさんお金を払って頂いてるのだし、仕事や家事の合間にこの広告を取ってきてくれた母たちに報いるためにも弱音は吐けないし。チーム関係者の広告にはさすがに特別リキが入る。力が入りすぎて品が無くなってはダメだ。特に1ページまるごとの全面広告はシンプルなほどインパクトを持つ。身内の広告ということで任せてもらった「葵扇寿司」さんや「東部ガス圧接」さんなどは気持ちよくイイ感じで仕上がったと思う。文字どおり「自画自賛」だね。因にTeshimaDesignWorksの広告も2,000円の費用で掲載。野球のボールに興味を示した小さなアリンコと今のフレンズの小さい子たちをオーバーラップさせたイメージ。面白い野球にもっと群がって欲しいとの願いを込めて。誰も解らなくてもいい。こんなもん、自己満足だからね。
先の膨大な広告原稿リライトと校正のInoue母さん、他の仕事も抱えながら広告の校正までやってくれたOhtake母さん、同じく校正と気が遠くなるほどの年度別ページのリライトNishiharaコーチ、諸氏に感謝!感謝!
編集後記と宮前区の少年野球+豊田さんのHP紹介。
HP紹介ページはOtsuboコーチのアイディアをもらった。
編集後記もお決まりの文章のパターンではつまらないので、多少面白く書いてみた。

この最後のページを作る為に数ヶ月間苦労したと言っても過言ではないかも。
71ページ目で30年間の集合写真を大集合させ合体。
今までのありがとうの意を込めて。
これをペラリとめくると最後の72ページでこれからの未来を表現。
創った自分でもこの最後の2ページで締めることで、確かな着地点に降り立った気分になれた。

最終裏表紙。
地元に流れる「有馬川」をイメージ。30年間のフレンズの紆余曲折を川の流れになぞらえてみたのだけれど。
昔、そして近年にもチーム存続の危機を乗り越えてここまで頑張って来たことへの想いを表現したつもり。
過去現在未来。
支えて下さった全ての方に感謝です。

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年7月15日木曜日

30th「祝賀会編」

祝賀会といってもほとんど懇親会、飲み会のノリである。
式典には来れなかった、イケメンの前衆議院議院山際さんや、鷺沼ヤングホークスの黒須さんもいらした。南部リーグの監督コーチの面々、OB卒業生同士の交流、OBコーチの旧交を温める姿。いいもんですね。
何やら合コンがどうとか話が盛り上がっていたけど、我がチームの美女軍団へのファンレターはまず俺を通してくれたまえ、フォルコンズさん(^^)条件として...我がチームのオヤジ軍団とフォルコンズさんの綺麗どころとの合コンが実現したらよいか?
こんな他チームとの交流も、普通の宮前懇親会などでは出来ないことだから、大いに盛り上がった。F本さんが下戸だとは思わなかったなあ。


前半はワイガヤで時が過ぎ、一度締めて来賓お帰りのあと、後半は身内だけでまた盛り上がり。自分で言うのもおこがましいが、私はかなり陰のプロデューサーである。常に役者を指名し彼らが光ることを考える。でもとうとう、川上コーチにマイクを渡された。記念誌の苦労話や今さら実行委員のふがいなさなどを話したところでしょうがない。母たちへの感謝の意を込めて、一人ひとりへマイクをバトンタッチ。


感極まり号泣する母たち。
マイクを握り人の話を聞けと場違いな怒号を発するNishiコーチ。
(自分こそ人の話はちゃんと聞こうね)
相変わらず小指を立てていつの間にやら司会業、仕切り始めたYanagisakiコーチ。
(いつもながら彼がマイクを持つと場が断然盛り上がる)
最近できちゃった婚で父親になった23歳のOB卒業生Sugiyama。おめでとう!
最後に柳澤さんが満面の笑みで挨拶をしていた。
そんな姿を見てやっと30周年記念事業をやって良かったと思った。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

30th「式典編」

午後の式典セレモニーには総勢210名が体育館に参集。
式典前に記念撮影を一発。いつものごとく私は入ってません、カメラマンなので。
徐々に体育館が埋まり始めた頃...。日頃の運動不足がたたり、またしても足がつり始めた。体質なんだろうか?とにかく強烈。表情は務めて平静を装っていたけど、実はゴマラー油的脂汗がタラ〜リ、心臓をつたい落ちる。歩けない。座ると余計につりそうになるから、立ったまま地獄を味わう。
実行委員の席はあったけど、もともと座る気はなかった。写真撮影するので立ったり座ったりしたら、スピーチの方に申し訳ない。ならば最初から座らないでおこうと。でも足がつったせいで会場後方の一ヶ所で立ったまま微動だに出来ず。ごまラー油的脂汗は心臓からついに下半身まで達し、体育館のフローリングを濡らし始めてる。
(このブログ書いてる水曜日。極度の筋肉痛で未だに歩くのもままならぬ。マジ)
式典が始まり少し経って落ち着いてきた。ホッ。
来賓は以下のとおり。
★現衆議院議員 樋高さん
★前衆議院議員 山際さん(秘書代理)
★県議会議員 持田さん
★市議会議員 飯田さん
★市議会議員 織田さん
★宮前区少年野球連盟会長 相馬さん
★有馬こども会野球部部長代理 大竹さん
★鷺沼ヤングホークス監督 黒須さん(...は急遽欠席。黒須節を聞きたかったが)
.....上の文字、漢字の画数多すぎでしょ。
その他ご招待は、南部リーグ6チームの子ども大人各チーム20名ずつ、フレンズOB卒業生、OBコーチ、OB家庭...たくさんの人々に来ていただいた。
当初、ウチのようなスタッフの少ないチームが、大風呂敷を広げて大人数を呼んでしまったら、きっと失敗して来場者に失礼になるだろうとの懸念があり、連盟全チームに声をかけるのは躊躇われた。結果地域リーグの6チームだけに絞ったのだけど...案外もっと来ていただいてもイケたかも?というのが正直な感想だった。
「畑のおじさん」も招待すればよかった。
どうせやるならドカンと花火を打ち上げて。でもやはりこれくらいが分相応だったかな。
↓↓↓前半の最後は監督挨拶と選手自己紹介。ウチの監督はちょっと珍しい(?)チームのOB卒業生である。かつての黄金期のメンバー。去年まで柳澤さんが監督を務めていたが、その教え子が今年から監督に就任。光陰矢の如し。今は昔。盛者必衰の理あり。...ん、ちょっと違うか(^^)
↓↓↓選手自己紹介。学年・背番号・名前・ポジション&将来の夢など。
小さな子どもは緊張して言葉が出なくなることを思い、事前に何度か練習した。本番でその場面があったらなんとか子どもをフォローして欲しいと、壇上に上がる28番川上コーチを補佐役に指名し、いざ...。老婆心に終わった。みんな元気よくちゃんと言えた。勝手な想像だが、家庭でスピーチの練習をしていた子もいたのではないだろうか?それだけでも、親子の団らん・コミュニケーションの一助になったかもしれないね(^^)
特筆すべきは、ほぼ全員「将来はナニナニの誰それ選手のようになりたいです!」と異口同音に口をそろえて言うのに対して、ひとりだけ「将来は板前さんになりたいです」と小さい声ながら言ってのけたSuzuki。思わず心の中で拍手喝采してしまった。おまえはエライッ!案外大人になって一番の大物になったりして。


↓↓↓後半は豊田泰光さんの講演会。
No.1=実行委員長荒金、代表柳澤、監督佐藤、29大坪、28川上、母マネ神谷、サブマネ井上(し)の面々。遠近法の線の消失点にいるのは式典担当委員西原、OB母委員井上(み)である。みんなみんなお疲れさま。
No.2=豊田さんの話の途中、氏がいきなり会場の選手を指名して壇上に上げるハプニング。前後の話の流れからして、ちょっと緊張した空気が会場を支配しかけたが、次の瞬間割れんばかりの拍手。スラッガーズの子の背中を押してやりたくて、会場最後方から口火を切って拍手したのは実は私でした。
No.3=最後のご挨拶大坪コーチ。「魂の記念誌」のサプライズフレーズには驚き、感謝!
No.4=豊田さんを囲んで。連盟相馬さん、県議持田さん、市議飯田さん各氏。
No.5=我がチームの司会ウグイス嬢(?)室井母委員。元プロの○○○歌手。流石の美声である。会場に朗々と流れる声は「千の風」を彷彿とさせた。本番の大役を見事にこなしてくれた。アリガトウ!(飲み過ぎ注意だぜ)
ここには写真がないが...同じく実行委員の大竹母。せっかくの美女の写真がなくてまたお叱りを受けそうだが(^^)
実行委員の母たち、更に広告集めの母たち。勝負に白黒つけるのは好きだが、誰が一番貢献したかなどを挙げつらうのは私の本意ではない。がしかし、今回だけ敢えて言うならば...。この度の記念事業全体で陰になり苦労を惜しまず頑張ってくれたのが大竹母だ。記念誌のみならずほぼ全てのパートで大活躍してくれた。普通なら腰が引ける裏方仕事をいつも笑顔で事もなげに引き受けてくれた。なかなか常人に出来ることではない。副委員長としても個人的にも感謝したい。アリガトウ!(同じく飲み過ぎ注意だぜ)


この他にも感謝しなきゃいけない人はいっぱい。いずれこのブログシリーズに「記念誌編」も加えようかな?そこで他の人には深謝申し上げたい。
次回はいよいよ「祝賀会編」これは写真の選択が難しい。
「顔写真掲載全然OK派」の多数派と、「勝手に掲載すんなよな派」の少数派があるからだ。普段マイノリティーを大事にしたい私ではあるが、ええい、載せちゃえ!
次回をお楽しみに...って、チーム関係者以外の全国の読者の方々には興味ないかもですね。スンマソン!
※普段のこのブログでは個人名を極力英文字表記にしてますが、公式行事ゆえの公平性を鑑み、大人は実名での表記にしました。関係各位ご了承下さい。

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年7月13日火曜日

30th「練習編」

30周年記念式典当日の午前。
プロ野球解説者の豊田泰光さんをお迎えし、練習を見てもらいながら子どもたちの指導を。昔の氏のイメージは恰幅の良いどっしりしたものだったが、一度大病を患ったせいか、さすがにお歳を召されたなあ、との感は否めない。それでもダンディーさと舌鋒の鋭さは健在のようだ。
「子どもたち一人ひとりに声を掛けていただき、指導をしてもらう」というのがコンセプトでありポイントだったけど、果たしてどこまで実現したのかどうか?行き届かない点があったならば氏の責任ではない。実行委員長に成り代わり、副委員長のテッシーが陳謝。
グランドの隅で小さい子どもたちだけ集めてノックをしていたKawakamiコーチのところへ。
普段から彼は小さい子のことをチーム内で最も気にかけているコーチだ。その彼の顔がイマイチ冴えない。というより少し憮然たる表情。
....ピンと来た。
すぐに今度は委員長のAraganeさんのところへ行き、耳打ちした。
「あとで豊田さんに小さい子たちのノックも見てもらってよ」
30分後チビッコへの指導が実現の運び。少しホッとした。
そんなこんなでアッちゅう間に昼メシタイム。
弁当はうまかったけど、目に見えないナニモノカに追い立てられてるような気分でメシをかっ込み、早々に席を立つ。
ふ〜っ。いよいよ午後の式典が待っている...。
そこでは先日同様の、ごまラー油風味の脂汗を流すほどの、足がつってしまう地獄が待っていようとも知らず、テッシーは式典会場の体育館へ向かったのだった。
...つづく(^^)
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

燃え尽き症候群?

30周年記念事業4ヶ月間の苦労が報われた一日。
ワールドカップ1ヶ月間の興奮が終わった一日。
これから周年行事を迎えるであろう全国の少年野球チームの、ほんのささやかな参考になればと思い、今後数回に分けてブログアップしたいと思います。
とりあえず今日は120枚の写真の整理、選択と削除。それだけで精一杯。
やっぱり燃え尽き症候群?
終日ボ〜ッとして昼間は仕事に身が入らぬ。昨日は0:00頃(?)二次会から帰宅、速攻シャワーを浴びて速攻ダウン。布団に倒れ込みたかったけど、携帯アラームセットしAM3:00に起きねばならないから、仕事部屋の床にゴロン。W杯決勝を見逃したら今後4年間毎日を後悔しつつ過ごすハメになるからね。しかし...気がついたら朝の4:30。慌ててTVをつけて後半戦からの観戦。面白かった。けど、贔屓目なしで日本対デンマーク戦が自分にとっての今大会のベストゲームだった。
式典当日の午前は「練習編」午後は「式典編」でもって夜の「祝賀会編」
写真とともに順次掲載...のつもり。
今日はその中で式典前に撮影した、プロ野球解説者豊田泰光氏を囲んでの一枚をアップ。ウチなんか選手20数名だからまだいいけど、50,60名のチームなんか大変なんだろうなあ。
ん、そうだ思い出したぞ。午前の練習終了後、テントを片すために地面に打ち込んだ金具のクイを引き抜いていたスタッフ4,5人に一言。
.....整いました。
「クイはちゃんと引っこ抜いておいてね。あとで後悔しないように。
悔いが残るから....」
わかってくれたのはOhmori母だけだった(^^)

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年7月12日月曜日

終わった

終わった。
スペインが勝って4年に一度のワールドカップが終わった。
みんなに感謝して10年に一度のフレンズ30周年が終わった。

2010年7月10日土曜日

C球のエンボス

いよいよ明日は我がチームの30周年記念式典。
西有馬小体育館で210名参集。
式典後半は、元西鉄ライオンズ、現プロ野球解説者の豊田泰光さんをお招きしての
講演会も予定。フジテレビプロ野球ニュース初代解説者としてもご存知の方も多いであろう。
奇しくも4月11日に父母会を開催し明日でちょうど3ヶ月。
それ以前からモヤモヤのカオス状態から数えればたぶん、4ヶ月。
忸怩たる思い、憤りの渦、あまりの温度差に愕然とすることもたましばあり。
でも全て、明日がよけりゃあ全てよし。
ふと思いついてこんなの作った。
式典あとの祝賀会は中華料理店でこじんまりと45名で。
とはいえ、来賓には議員さん4名もいらっしゃる。参院選大丈夫?
テーブルと席順は土壇場まで迷走飛行したけど、今日やっと落ち着いた。
その中華テーブルの中央に、テーブル番号変わりにこれを置く。
ちょっとチープだけど、ウチのチームには手作り感たっぷりで、これくらいでちょうど良いか(^^)軟式ボールの少年野球から遠ざかっているOBくんなどは、C球がこんなエンボスに変わったことすら新鮮なのでは?
明日はW杯決勝もあるしもう寝たいのだが、私これからまだ仕事の続き...。
といってももうヤル気しないなあ。
ではまた、ごきげんよう!


にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年7月9日金曜日

記念誌完成!ひとりで歓声!

とうとう出来た! ナニがって?もちろんフレンズ30周年記念誌。
いろいろ心配や懸念があったけれど、全然素晴らしい出来映え。
全部で300冊。写真の3倍の冊子数。宅配便のおじさんが汗だくで5階までの階段を3往復してくれた。思わず冷たいビールをご馳走しようかと思った。
このズッシリ感が今までの約4ヶ月間の時間と苦労の重みと重なり、ジワリこみ上げる。本文72ページプラスカラー表紙全てのページをデザイン、編集。
記念誌の内容や経緯など、詳細はまだ式典前なので、ここで紹介するのは性急というものだろう。ロードショウ前の映画を関係者だけで試写するように、ちょっとだけ表紙の絵の写真を公開。(ブログ読者は関係者なのか!?)
いずれ7/11の記念式典過ぎたらこのブログでこいつを紹介してみたい。そのうち書いてみよっと。
仕事を23:00に切り上げ、風呂+ビール。今は、もともと活字バカの小生はこの冊子を酒の肴に冷やのコップ酒で1杯。(正確には3杯目)
いろんな人に感謝しなければいけない。
とりあえず今日は...。
株式会社ラジオグラフィーの横田社長、スタッフのみなさん、印刷工程のお父上。印刷初日の土壇場で真っ青になる事態には正直ナーバスになったけど、みなさんのおかげで窮地を切り抜けられました。写真のモアレはいい勉強になりました。モウ、アレはこりごり。
ありがとうございました(^^)
本職は店舗の設計・デザインの小生。出来上がりを見て満足するのはまだ青二才。本当のデザイナー冥利は、これが人の手に渡り、たくさん見て読んで喜んでもらえること。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年6月23日水曜日

駄文の復活...たぶん。

お久しぶりのBlog更新。やっと肉体が解放されて、春を迎えた気分。
さあて、今年のゴールデンウィークはどうしてくれようか?
はあ?ナントもう6月下旬ですと?
朝・昼・夜関係なくMacと向き合ってきたこの2ヶ月。
前半は設計の仕事。後半は仕事とチーム記念誌の制作。
体力低下による瞼のものもらいは2回、運動不足による脚がつること3回。内、最近の1回は人生最強のツリ方で、ふくらはぎがパックリふたつに割れて、ダイヤモンド並みに硬くなり、ごまラー油のような脂汗が出て来て往生。日曜のグランドだったため、心配する子どもたちが寄ってきたが、気の利いたジョークすら言えず情けなし。脚といえばずっと椅子に座っているので、右足が異常なむくみを発症。宇宙家族ロビンソン一家の忠実なロボット、「フライデー」の脚のように太くなり(知らないでしょうなあ)、足の甲を指で押すとヘコミが元に戻らなくなる現象。我ながら気持ちワル。もし針で突ついたなら...アニメ映画「アキラ」のラストシーンで出て来る怪物が体液を流しながら崩壊してゆく姿を想像してしまう。
変なクセもついてしまった。睡眠2,3時間の毎日が続いた時期があり、そのせいか、今は6時間寝れる環境なのに、2,3時間で目が覚めてしまうことしばしば。困ったもんだ。
でもこの歳で...(という表現が実は大嫌いなんですが)...こんな環境、逆境にもなんとか耐え忍び、精神的にも壊れずにやってこれたのは、これもひとえに読者の皆様のおかげ.....なワケないです(^^) 周りには迷惑かけたりもしたけど、密かに自分を褒めてやりたい。いっぱい褒めると図に乗るタイプなヤツなので、1/100ミリくらいなら良かろうて。
時間的余裕よりも、精神的余裕がないとブログというものは書けないことを今回初めて知った。逆に言えば、精神的余裕があれば時間的余裕がなくとも書けるのがBlog。う〜ッ我ながら名言!そういう意味ではいろんな個人的事情がからんで、このBlogも完全復活宣言はまだ出来そうもないけど、ちょっとずつまた駄文を書いていきたいと思います。
●この2ヶ月で増えたもの=運動不足による体重と、ストレスと、煙草の消費量。
○この2ヶ月で減ったもの=精神的重圧による髪の毛の本数。
....ん、この2ヶ月で得たものがもうひとつあった。
☆ひとつのゴールに立ち向かう時に感じる、人との連帯感と信頼関係...かな。
同時に失ったものもあったけれどネ。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年6月19日土曜日

力を込めて...

これを作家用語で言うところの脱肛...じゃない、脱稿というのだろうか?
やっと記念誌全てのページをデザイン・制作・編集完了。
唯一カラーで勝負出来る表紙の制作が今終わった。
まだまだ明日から全ページの校正とフォントの入れ替え作業が待ってるけど。
とりあえずは「,」は打てた感じ。「.」ピリオドはまだだけど。
いずれまた報告します。
今は...
力一杯...満を持して...渾身の力を込めて...思いっきり..................休みたい。
ではまた!
明日はW杯!オランダ戦!

2010年6月14日月曜日

あと一週間。あと一ヶ月。

あと一週間。
...でチーム創立30周年記念誌の入稿締め切りが迫ってきた。
ここ一、二ヶ月は仕事が過密で加えて記念誌の仕事も重なり、毎晩のように午前2時、3時の就寝。このブログもここ10年くらい...いや、縄文時代あたりから更新してないような気がする。記念誌作成・編集の苦労話は完成後にこのブログページに譲るとして...あと一週間なのだ。まだたんまりとやることイッパイ。皮肉にも本業の設計の仕事も来週いっぱいくらいでピークが過ぎる予定。
あと一ヶ月。
今年は忙しすぎて心の準備が何も出来てないまま、とうとう一ヶ月間のサッカーW杯が始まった!少年野球コーチのくせにWBCより10倍オリンピックが好きで、オリンピックよりも100万倍ワールドカップが好きだ。小生の先輩の知人などは、4年間真面目に働いて貯金をし、ワールドカップイヤーにその貯金を全部使って会社を一ヶ月休職し開催地へW杯を観に行き、帰国後また4年間コツコツという人もいる。会社が認めてくれない時はあっさり辞職してまで行くらしい。小生そこまでのマニアじゃないけど、毎回楽しみでしょうがない。
開幕戦:南ア対メキシコは、体と指はMacに向かい記念誌の仕事をしながら、頭と眼は右横にあるTVに向けてやっていた。おかげで首が右90度に曲がったまま今日に至る。今もこのブログを書きながらガーナ対セルビア戦もそうだ。ヤベッ、今日ひどく脚がつったけど、首の筋肉もつりそうだ。
あと一ヶ月後の7月11日は30周年記念式典の日。
その日カブってしまうのが、W杯決勝の日でもある。
悩み多くストレスの溜まる一ヶ月。
ただでさえ少ない頭髪が更に、風呂場の排水口にじゅるじゅる吸い込まれていきそうだ。

2010年5月31日月曜日

敗けたけれども...&あるバンドのライブ

...ってナニ?はい、もちろんサッカーです。一野球ファンであり、少年野球のコーチである私はその前にサッカー大好き野郎なんです。高校1年までサッカー部だったこともあり、サッカーと聞くと自然とアドレナリンがドックンドックン生成されちゃう。WBC野球を観てJAPANが点をとったら「おっしゃあ〜!!!」とガッツポーズをするが、サッカーW杯を観たら、「おっしゃあ〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と喉が枯れて、ガッツポーズは勢い余ってTVのブラウン管をガツンとやってしまい、右手が腫れてしまったこともある。
今日のイングランド戦。2-1で敗けたけど、オウンゴールの2失点はそれだけディフェンス陣のモチベーションの高さと言える。特筆すべきは川崎フロンターレのGK川島のスーパーセーブ。PKを止めたプレーも見事だったけど、あのルーニーのミドルを弾いたのは圧巻。まるでドラゴンボール悟空が瞬間移動したのか?と思ったほど。横っ飛びに飛んだ川島の痩躯が、ゴールポストのはるか上空10mくらいに浮かんでいたような錯覚。(んなワケないか)
敗けたけれども...いいゲームだった(^^)
今日の昼間はフレンズの30th実行委員会。侃々諤々、喧々囂々...とはならず、平穏無事に閉会。首脳陣(?)はもっと危機感を持って先を見据えた認識を持って欲しいと思ってるのは俺だけなのだろう。誰も動かないから委員会開催要請と議題の提案などは今までほとんどワタクシが裏で動かして今日に至っている...コレをやる役どころは俺じゃないと思うんだが、まっいっか!ここまで来たらトコトンやっちゃうしかねえか(^^)
首脳陣(?)の一人である自分に言い聞かせて帰路につく。
夜は息子のバンドのアングラライブを観に小生の配偶者と代々木へ。
会社の仲間と組んでいるバンドで、数バンド出演するうちのひとつ、地下のライブハウスでの一コマ。
耳をつんざき、横隔膜を震わせ、普天間米軍機の騒音を凌駕する音量。アルコールと紫煙の漂う空間。地下ライブはこうでなきゃな。
彼らに了解なしに写真をUPしちゃう。
Voヴォーカルはオトナな雰囲気とオーラの漂うセクシーレディー。
Baはサンボマスター似?またはキャイ〜ンの天野ひろゆき似?(ゴメン!)の愛すべきキャラのとても感じのいい彼。
Gは真面目なスガシカオといった風情のクールガイ。
Drは我が愚息テッシー。
ライブ途中でヴォーカルの彼女が、Dr愚息のオヤジが今日誕生日を迎えたことをマイクで披露。クリビツした!会場の皆に暖かい拍手をもらい...アリガトウ。
たぶんこれは息子が仕組んだオヤジへのバースデイサプライズだったのか?
またはヴォーカル彼女の機転を利かしたトークだったのか?
いずれにせよ本当にありがとう!
5月30日今日32歳になりました。←ウソ(^^)
近い将来、名実共にジジイになっちゃいます。

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年5月27日木曜日

迷走不時着Blog

このところすっかりブログがUP出来てないですね。優先順位は1にやはり仕事。2にフレンズ30周年記念事業の溜まりにたまった山盛りの仕事。3にプライベートな内輪の問題解決。4にまたフレンズのステッカーなどの制作。5は...時間的精神的余裕が出来た時と気まぐれの衝動でこのブログ。
今日は5の気まぐれ衝動的に書いてます。以前の睡眠時間2,3時間の地獄ほどではないにせよ、いまだに朝から夜中まで仕事による拘束は継続中。仕事終了後は2の記念誌の仕事。昨日はやっと30年間のメインページ(=30ページ分)の、成績と名簿などの制作に目鼻がつき、やっと広告ページに着手。サワリの4社分を作ってみておおよその感触を掴む。これも結構難敵である。名刺などのロゴをもらい解像度高くスキャニングしても、原本が小さいとやはりキレイじゃないし。歯科医院の広告が多いからなるべく同じページにカブらないように配慮し。お任せコースの広告は雰囲気変えるため、レイアウトやフォントを変えて差別感を出したりして...。
これって本来、プロのグラフィックデザイナーの仕事だよな。なまじっか、ワタクシ出来ちゃうからやっちゃってるけどね。今日などは昼メシ兼ねて広告主のラーメン屋さんへ行き、鮮明なロゴをもらおうと画策。結局ないので店舗の外装写真をデジカメで撮りこれを載せることでオーナーに同意をとりつけた。
う〜む......オレいったい何やってんだろう?こんな余裕ないはずなのに、ついついモノ作りには拘ってしまうのであった。自分で自分の首を絞めてるわけだ。(自分で墓穴を掘るとも言う)
今回のブログはこの時間に書くのは超マレで、大体夜中風呂上がりに書く事が多いのだけど、今書かないとまた当分書けないかなと思い立ち、一念発起書いてます。
このあとメシ食ったあとはフレンズ記念誌の広告作成モードにシフトアップし...今日は何社分出来るかな?
そうだ!今日のブログは昨日AM3:00までかかって観た、TSUTAYAの「アバター」のDVDの感想文を書こうとしたんだった。「アバターもエクボ」なんちゃって。
う〜む2.....迷走飛行した挙げ句、着地点を見失い見知らぬ荒野に不時着したような気分。(^^)

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2010年5月23日日曜日

危険予知委員会と7777

今日は先週同様、30周年の広告の打合でグランドへ。ギリギリまで仕事し、小学校へ行き2,30社ぶんの広告の原稿や資料を預かり打合。クリアファイルが全然クリアーじゃないくらい、パツンパツンに膨れ上がり、盛りだくさんのちゃんこ鍋状態。Inoue母が作ってくれたWordのデータがあるのでまだ心強い。感謝感謝。
呑みのお誘いはほとんど断らないタイプの私。それでも今日は後ろ髪引かれる思いで呑み会を辞退し、帰宅後、仕事に復帰Macを起動。こちらも案の定、図面修正の依頼メールがきていた。大盛りツユダクで...。
仕事にキリをつけ、冊子広告のロゴや名刺をスキャニング。
仕事のスケジュールと記念誌の締め切りとを天秤にかけて、頭の中でひとり危険予知委員会を開催。頭の中の全員に招集をかける。
T氏「かなりヤバイんじゃないの」
Tesseyさん「マジ、相当ヤバイっすよね」
Tコーチ「この状況をどげんかせんといかんと思う」
T委員「ほんだら、なんとか皆に協力を呼びかけてみんべえか」
T君「腹減ったあ、酒呑みてえよ〜」
Tスコアラー「あの〜スコアのExcel集計、今年まだな〜んもやっとらんばい」
Tさん「わしゃあ、どーなっても知らんけんのぉ」
T...「zzz...zzz...んがっ、もう少し寝かせてちょ〜」
会議は踊る、歳は老けるし、夜も更ける...。
それでもこのブログ、読者のみなさんのおかげで、こんなんなっちゃいました。
アリガトウゴザイマス!!! アクセス「7777」

2010年5月19日水曜日

30分と30秒のリフレッシュ

今朝は目覚ましではなく電話で起こされた。
協力をお願いしている同業ブレーンから。昨晩0:00過ぎに送った宅ファイル便の添付ファイルが開けないとのこと。CADデータのバージョン違いかMacとWinの相性の悪さか...。起き抜けにそのままMacを起動、いつの間にか仕事モードに突入。
サラリーマン時代はこういうタイトな仕事状況で、ある日突然バックレて会社に来なくなった若い社員を何人か見てきた。中にはとんでもないことに、中堅社員で不倫相手と東北みちのくへの逃避行、会社には一切連絡なしで一週間後ナニ食わぬ顔で帰還した強者もいた。ここまでやられると、憤りよりも呆れ、呆れるよりも羨望の眼差しで見てしまい、最後には笑ってしまう。今よりはおおらかな時代だったけど。
筆者もこのプチ地獄行から一日だけ雲隠れし、愛人と箱根あたりの温泉宿でしっぽりと...してみたいのは山々だが、サラリーマンと違い、会社や周りがどうにかしてくれるハズもなく、100倍になって全部自分に還ってくる。
もっとも愛人がいないので話にならないのだが(^^)
それでも運動不足を解消するため、たまには近くの公園へ足を運ぶことがある。
随伴するのは愛人ではなく携帯電話と缶コーヒー。フレンズ関係のメールを打つ。
子どもの笑い声や、ご老人と孫の会話...強風にざわめく樹々の咆哮、舞い上がる砂塵...そんなこんなで頭をカラッポにして仕事部屋へ帰還。
一週間の逃避行どころか、たった30分の公園での頭とカラダのリセット。
やっと23:00頃仕事を終え、風呂に行く前にフレンズ30周年記念誌の仕事をやらねば。広告を一個作り、1982年のページを一枚作り、精魂尽き果てた。こんなペースじゃマジやっべえ!と風呂につかりながら独りごち、今に至る。
それはともかく、今日の広告制作で頂いた写真を勝手にUP。
広告原稿をメールでもらい、添付写真を開いた時には開いた口が塞がらなかった。とあるピアノ教室さんの広告。筆者ピアノには詳しくないけど、優れた工芸品を鑑賞した時に覚えるあの感動。スタンウェイというのだろうか、楽器というより芸術品ですね、これは。30秒間じじ、じーっと嘗め回して見ちゃった。写真のクオリティーの高さも一役買っているけど、素晴らしい写真を見せてもらった。
今日は30分と30秒、2度リフレッシュ出来たことになり、なにやら嬉しい気分さ。



2010年4月13日火曜日

母は強し.2

昨日の続き...
このブログでグズグズ言っても始まらないし、
フレンズ歴の長い年長者(?)である自分にも、皆をうまく啓蒙出来なかった責任はある...と思う。こんなことを言うとアンタ何様?と言われるかもしれないが、小生が動いていなければ、今頃はまだゼロの状態...う〜ん、やめよう!
清濁合わせ呑めるオトナになんなきゃだ。
-------------------------------------------------------
頭のどこかにモヤット感を抱えつつも、とりあえず実行委員が父母会に承認され、正式にキックオフになった。小生の大きな狙いのひとつはチーム全体に事の大きさを認知してもらうことと、委員メンバー人選の承認を得ることだ。チームに諮らず勝手にメンバーを組んで勝手に具体的に企画を進めたら、のちのち紛糾するに違いないしね。そう言う意味ではホッとして会を終了。
校門の外で一服し、ふと後ろを振り返るとそこには母たちの数人ずつの小山が出来ていて何やら喧(かまびす)しい。
早速、記念誌の広告資金集めの打合!
このスピード感、このチームワーク!
プチ感動しちゃった。ああだこーだ言うばかりで行動は他人任せの野郎どもとは大違い。(ウチにはいないけどね...?)
誰かオヤジコーチが「母のチームワークは抜群だけど、子どもの野球のチームワークがイマイチなんだよなあ」なんて言って爆笑。話がぽんぽん小気味よく進んでる様子。速攻TコーチもTeshimaDesignWorksで広告主に。28番Kコーチも自分の会社の野球チームから全ページブチ抜きの大スポンサーになる。
母たちのチームワークに脱帽。


お決まりの居酒屋その1でYYG2(ワイワイガヤガヤ)やったあと、帰宅。それから昨日のブログを書いた。
ん、そーだ今日父母会にこの為にわざわざ来てくれたOB母Yさんにお礼をしとこうと思い、携帯メールをぷちぷち打った。程なくYさんから返ってきた文面を引用。(本人から了承済み)
「...30周年記念は、フレンズ母メンバーが若い方々が多く、ポジティブでイイ感じですね(Vサイン絵文字)私もお手伝い出来ることがありましたら、いつでもご連絡下さ〜い(ニッコリ絵文字)...」
小生...アリガトウ!(m(_ _)mの顔文字)


更に今日月曜日...。
この広告に関して早くも「お願いの案内状」をExcelで作成し、校正を依頼してきた実行委員O母。携帯とPCメール数回のやりとりで応えた。
小生の大好きな石田依良の小説「池袋ウェストゲートパーク」のスピード感に若干似てる展開。
ほぼ毎日、日中の仕事を切り上げてから夜フレンズの仕事。スコアのまとめやらブログやら、なんやら...。
Wワーカホリック。ウカウカしてられないぜぃ。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村