2011年10月14日金曜日

人間悠々浮遊!

最近若干仕事多忙、全世界的通信網日記、更新回数減少。
先日仕事終了後深夜、少年野球軍団「有馬友達」卒業生贈進物、応援旗制作。
図案思案後、地球的画像使用発想。
即、全世界的通信網利用、亜米利加合衆国航空宇宙局(奈左)家庭頁、閲覧。
驚愕的美的画像発見。
一例目、此画像閲覧要望。

二例目、再度、此画像閲覧要望。

嗚呼、地球上空宇宙内、人間悠々浮遊!
我地球上人間、感動的生物也。
個人的電子計算機付属、鼠的機器、一押、即拡大画像出現。

※凡例列記。読解要望。
「全世界的通信網日記」=ぶろぐ
「有馬友達」=有馬ふれんず
「全世界的通信網」=いんたーねっと
「奈左」=なさ
「個人的電子計算機」=ぱそこん
「鼠的機器、一押」=まうす、わんくりっく
「我地球上人間、感動的生物也」=にんげんってすばらしい(^^)/
(from USA.NASA.HP)
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2011年10月12日水曜日

どうと思うですか?

そんな話はさておき、とりあえずまずは、サッカーなんである。
いくらなんでも格下相手のタジキスタン相手とはいえ、点の取り過ぎちゃうか、とイワンの馬鹿...じゃない、いわんばかりにゴールドラッシュ....じゃないゴールラッシュであった。試合開始11分でのマイクのドンピシャヘッド。この時、盛者必衰の理(ことわり)あり...じゃない、筆者浄水を断り、ビールを飲みながら確信を持ち得たのだった。
サッカー小憎だった私の予想は、この試合3:0の圧勝だな、ムフフ....と。
終わってみればとんでもない結果。8:0。サッカーにおけるこんな点差は、プロ野球でいえば365:0みたいなもんである。バスケットカウントどころじゃない。私、国際Aマッチでこんな点差は記憶にない。しかしながらタジキスタンのラフプレーがなかったことは、大いに賞賛すべきことだ。4点あたりからちょっと可哀想になってしまったタジキスタンだった。
スコアはともかく、内容もワンツータッチのパス廻しや、スピーディーに前がかりに裏を取る姿勢も良かった。これ、野球に身を捧げサッカーなんぞわしゃ知らん的なご仁には何言ってるか分らないでしょうけれど。更に、独特の語り口のサレジオ越後...じゃない、TOYOTAセルシオ越後....じゃない、セルジオ越後さんの言葉が印象に残った。
「ゴールキーパーは10本のシュートを弾き返して当たり前。1本でもミスったら非難囂々と思うですよ。それに比べてフォワードが10本のシュートをミスっても誰からも非難されないですから。どうと思うですか、マツキさん?」

とりもなおさず、現在は少年野球コーチの筆者、瞬時に野球モードに切り替えて考えてみた。
「ピッチャーは10人の打者を0点に押さえて当たり前。1球でもミスったら非難囂々と思うですよ。それに比べてバッターが10打席ノーヒットでも誰からも非難されないですから。どうと思うですか、エガワさん?」
何をかイワンの馬鹿...じゃない、何をか言わんや、てんやわんやなんである。
ワカリマスネ?野手のみんな、投手に感謝する心を忘れてはいまいか。

急転直下、話が変わるんである。
どんだけ急転直下するかというと、大空から子羊を狙い定めた大鷲が一気に地表の獲物に急降下するがごとくなのだ。これでぇ〜いいのだぁ♪お日様は西から昇って東に沈むのだ。

有馬神明社の秋祭り。いつ見ても神輿の屋根の漆黒のウルシ塗りのテカリ具合には、うっとりしちゃう。ちいさな子ども神輿も健気(けなげ)で可愛い。
毎年このブログで神輿写真をアップしてるけれども、先日仕事していたら遠雷のごとく風に乗ってぴ〜ひゃらら〜の便りが耳に届いたわけで。今年も神輿担ぎを家の高みから激写。有馬子ども会のKawakoshi部長は写ってなかったけれど。


ついでにNikonP100のカメラでの動画撮影もしてみた。
アップで撮ってみたら結構迫力あるイケてる映像をモノすることが出来た。
良かったらクリックしてご覧あれなんですってば。
但し、会社のパソコンで見ておられる分別ある貴兄には、事前に音声ボリュームを絞ることを密かにお勧めしたい(^^)
出来れば家に帰ってから自宅パソコンで、または会社の昼休みに社員が出払ったころを見計らい、大音量で観ていただけたらかなりの迫力あるはず。



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2011年10月10日月曜日

200名の少年野球オヤジ軍団

「すべて国民は、法律の定めるところにより、10月10日の体育の日には何がしかの運動をする義務を負ふ。」という日本国憲法第26条を遵守すべく、先ほど愛犬「りん」の散歩から帰って来た筆者であった。
3連休なのにナンデ野球がないの?と、訝(いぶか)しがる向きもあろうけれど、全国的に学童野球の活動中心はやはり小学校の校庭なわけで、この日は全国的に町内運動会の活動中心も小学校の校庭なわけだからして、学校が使えない理由はおのずと氷解されうることだろう。
うちの本拠地有馬小学校は、土曜は地元幼稚園の運動会、今日月曜は東有馬町会の運動会、日曜はその準備のため、3連休グランドが使えないこととなった。遠征の話も俎上(そじょう)にのぼったが諸般の事情により没。幼稚園児や日頃お世話になっている町民の方たちに運動していただくのだから、文句のあろうはずもない。日本国憲法第26条は万人に平等に、あまねくゆき渡らねばならないのだ。


というわけで3連休は仕事とスコアブックの集計に費やしたのであったけれど、昨日の日曜は秋季大会兼20周年記念大会の懇親会と功労者表彰式を兼ねた集まりがあった。連盟の毎大会後、懇親会は開催されるのだけれど今回はちょっと空気感が違っていた。それで携帯カメラで数枚撮った写真を掲載。(携帯なのでかなり写りが良くないけれど)


連盟20周年功労者表彰式では、QueensのMちゃんが花束贈呈の大役を引き受けることに。もしかしてこの時が一番華やいで盛り上がったかも。Mちゃんお疲れさまだったね(^^)/~


各チーム自己紹介も毎回盛り上がる場面ではある。
部員数が減少しており来年は合併話も出ているチーム紹介、マンモス人数の常勝チーム紹介、悲喜こもごもではあるけれど、みんな笑顔でマイクを持っていた。
記念誌のNishimura編集長、Nemoto師匠も陰になり記念誌のための撮影に奔走。
喫煙所では久しぶりの野川台フォルコンズFukumotoさんと談笑す。聞くも涙、語るも涙の子どもの入部感動秘話を聞かせていただいた。
臨席したのは地元の有馬子ども会野球部。うちの配偶者とも地元町会で交流のある「アリコの顔」部長Kawakoshiさん、監督Yakabeさん、コーチHaradaさんとも談笑。
こんなオヤジどもの交流が宮前区全チームの横の繋がり、チームワークの一助を担っているのかもしれない。お母さんたちはダンナが懇親会に行ってもどんな雰囲気でやってるのかわからない人が多いだろう。こんな雰囲気なんである。約200名の宮前少年野球オヤジ軍団。


最後はQueensのチームスタッフ紹介。
代表Kasaharaさんはどっかのテーブルで呑んでいて壇上には上がらず。
マネージャーYamaguchiさん、監督Koshimizuさん、29Murataさん、28Mochidaさん(Mちゃんパパ)、他、Sasakiさんをはじめ指導陣の面々が登壇しスピーチ。


途中、中座してQueensのテーブルへご挨拶。
先日筆者が作らせてもらった携帯待ち受け画面は、オヤジスタッフ皆が選手名が入っているピンクバージョンを採用していると嬉しげに教えてくれた。オトナの赤バージョンはどうやら筆者だけらしい。とんでもなく嬉しい誤算であった。
更にとんでもないオヤジがいたんである。ちょいワルオヤジ系監督のKoshimizuさんは携帯のみならず愛用のZippoにも、ステッカーが貼ってあったんである。脱毛...じゃない脱帽である。負けじと筆者も自分のZippoに貼っちゃおうかと一瞬思ったりして。


会が終了後、フレンズオヤジ軍団は地元へ帰り居酒屋その1へ。
たぶん後多分に漏れず、各チームそれぞれ地元へ帰り分科会で盛り上がったことだろう。
Aragane、Nishihara&父たちと懇親会Part2。気持ちのいい面々ばかりで、来年のチームの実力は別として、なんか将来に希望の持てる飲み会であった。
昼間の野球指導だけでオトナのチームワークが成り立つものではない。こんな連盟がらみの交流もあって俺たちは明日も頑張ろうと思うのであった。


Aragane、Nishiharaの両オヤジは、でらでら笑いながらノックでは俺がうまいだとか、カラオケでは俺が負けないだとかの、相も変わらずの低レベルの不毛の議論に決着をつけるため、3次会のスナックへ向かったのであった(^^)
少なくともこの二人よりはノックはうまいと自認してる筆者ではあるけれど...。
待てよ、それじゃあ俺も同じオヤジレベルじゃん(^^)
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2011年10月8日土曜日

哀悼Mr.スティーブ・ジョブズ

みなさんのパソコンにはマウスがありますね?スイスイくりくり。
デスクトップにはアイコンといういろんなデザインのシンボルが浮かんでいて、これをダブルクリックすれば、瞬時に目的のファイルにアクセス出来る。もしこの二つがなかったら...。
そもそもこのブログなどはネットの世界ではサハラ砂漠の砂のひと粒だけれど、今やパソコンがなければ仕事にならない、生活そのものが成り立たないという方もおられるだろう。筆者もその一人。
スーパーコンピュータやオフィスコンピュータが一般人にとって別世界の話だったころ、パーソナルコンピュータがやっと家庭に普及してきた。筆者が初めて買ったパソコンはAppleのMacintoshG3ボンダイブルーのスケルトンマシン。ハマりました。なんて凄いのだろうと思った。人間て素晴らしいものを造る生き物だと改めて認識させられた。ずっとMacを愛用してきて、たまにWindowsマシンをさわってみると、いつもそのクオリティーの落差の大きさに唖然。日本のパソコンはWindows90%、Macが10%という説があるけれど、10%の一人であったことに感謝。仮にこの世にMacがなくてMSのWindowsだけだったら人生の半分は損した気分になったであろう。

二人の学生が起業し、その会社名を決めるとき。
彼はビートルズが好きだった。クルマでたまたま通りかかったビートルズのアップルレコード本社(当時)。その看板をみて社名を「Apple」に決めたという。
世の中にパソコンを普及させる波を作ったのがApple社。
その後の独創的なアイディアとクールでスタイリッシュなデザイン、Macの高いテクノロジーの数々のジェネレーションラインナップ。世の中の趨勢はWindowsのマイクロソフトが世界標準となったけれども、常に少数派のAppleのデザインと技術を後追いする形。みなさんのほとんどが使っているWinマシンの良い所はAppleのDNAが脈々と生きているのです。他社がMacにもう少しで追いつくという頃にはAppleはすでに次のサプライズを用意している。一般的にはMacよりもiPodやiTunes、iPadそしてiPhoneがなじみ深いだろう。Macのことは触った人でないと分らないだろうから、このへんで勘弁しちゃおう。

「デザイン」のカテゴリーを超えたAppleのそれは、グラフィック、アーキテクト、インテリア、インダストリアル、ファッション、映像...世の中の全てのデザイナーと名のつく人たちに与えたのは「共感と羨望」

その創始者である天才スティーブ・ジョブズさんが若くして亡くなった。
一企業の経営トップの逝去でこんなに世界に波紋と衝撃を投げかける人もいないであろう。

遅ればせながら慎んで哀悼の意を表します。
ありがとうございました。
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2011年10月4日火曜日

「サスケ」

昨日に引き続きTVネタで申し訳なし。
TBSの人気番組「サスケ」を仕事しながら久しぶりに観た。おかげで1時間で終わる仕事が3時間かかってしまった。
サスケのヒーロー「世界中で一番有名な漁師」長野誠さんを見ていたら、むっくり昔の記憶が頭をもたげてきちゃったからもう止まらないわけで。

5年ほど前、筆者は千駄ヶ谷のとある店舗設計施工のS社に勤務していた。ヴィトンやシャネルなどのスーパーブランドの店舗を請け負う大変優秀な会社である。ある日飲食店舗設計のエキスパートとして筆者の出番となったんである。

宮崎県のある漁業会社からオファーがあった。鹿児島のビル一棟まるごと飲食店舗とビジネスホテルに新装したいとの依頼。
自分にとってもこれほど大きな仕事は初めて。1フロア700平米×7フロアのチーフデザイナー兼、2階の和食店舗の設計者として参画。
朝6時まで自宅へ持ち帰ったプレゼンの仕事をし、そのまま羽田へ直行、昼前に鹿児島入り、午後からクライアントへのプレゼン、打合は深夜にまで及び、お客さんのベンツ(※Ishizakiさん所有。お客さんはみな自分のクルマに名前をつけていて、そのベンツはジェニファーという名だった)でホテルへ送ってもらい、荷物をベッドに放り投げるやいなや、そのままきびすを返し、S社企画室の若きホープT君と夜の鹿児島へ飲みに繰り出し、ホテルへ戻ったのはAM3:00、翌朝リムジンに飛び乗り、飛行機にもギリで飛び乗り羽田へ、午後からは東京の会社で夜まで図面を描き、帰宅はメーターを気にしながら深夜タクシー....。これはピークの時の想い出だけれど、実際こんなのが半年以上続いたのである。週イチでの鹿児島出張だった。
しかし面白かった。
クライアントの宮崎のTakasu社長が年下ではあったけれども、メチャクチャ素晴らしい人物であった。少年のような遊び心と芯がブレない経営者としての資質を兼ね備え、一刀両断で歯に衣着せぬ物言いと、非常に細やかな気配りと思いやりも持った傑出した人であった。打ち合わせの席上で社長と筆者のダジャレ合戦で打合にならず、仕事そっちのけで爆笑2時間の会議をやったりとか。筆者の「もう一度逢いたい人ベスト3」にランクインする人物である。

ある日の鹿児島出張打合。
打合が終わったのは確か夕方。そのまま日帰りで東京へ帰る予定だった。台風が来ていたように思う。21時ころ空港へ行ってみたら我々の便から欠航。メンバー一同5,6名は市内へ戻り雨が降りそぼる鹿児島の街を、ホテル探しに奔走。「コンコンコン、部屋ありますか?」うなだれてズブ濡れで舗道へ戻ること数回。T君が決断。「メシ喰ってから、Takasu社長に電話して泊めてもらいましょう!」

現場へ戻る。T社長以下、深夜急遽招集されたIshizakiさんはじめ数名のスタッフとともにみんな、柔和な笑顔で迎えてくれた。
「なんば、やっとうね。最初からここへ泊っちょけばヨカね」(九州弁が正確かどうかは定かではない)
またまた現場で酒盛り、深夜まで。
そうこうしてるうちに社長の携帯に連絡が入る。こんぴら丸の船長「長野誠」さんがここへ来るらしい。すでにサスケで有名人になっていた彼。ほどなく漁船組員数名とやって来た。実際に見る長野さんはやはりイイ男だった。社長がふざけて筆者の似顔絵を描いたのがプロはだしの出来映えで、これを見た長野さん、「すげえ〜Teshimaさんにそっくり、似てますね!」と笑う顔にこぼれた白い歯。非常に謙虚で誠実な印象だった。
社長から聞かされた「長野誠武勇伝」はここでは書けない。放送コードにひっかかる話が多いから(^^)コンプライアンス的に控えよう。
ただひとつ、これだけ。
その当時、長野さんはその肉体の実績と持ち前のキャラと甘いマスクで、東京へ来て「マッスルミュージアム」に入らないかとスカウトされたのだそうだ。
彼は悩んだ。ガキの頃から可愛がってもらっていたT社長に相談した。
「おまえは宮崎を全部捨てて東京に行ってごらん。タレントに転身したら絶対失敗するから。今の「漁師」という肩書きがあるからそのギャップがいいんだよ。それを忘れるな」
今日のTVを観ていたら、いまだに「漁師」をやってるみたいだ。
なんだかホッとした。
こうして「世界で一番有名で最強の漁師」が今もなお、中年の星として幸せな暮らしをしているんである。(奥さんキレイだったなあ)

鹿児島でのエピソードを語ったら枚挙にいとまがない。
100個くらいあるだろうか。でもやっぱり、このブログで書けるのはその10%くらいなんである。気が向いたらまた書きたいと思う(^^)
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2011年10月3日月曜日

「道」

EXILEの「道」と「ただ...逢いたくて」が私のEXILEのベスト2の曲である。
携帯の「着うたフル」にも入っている。「道」はその詩の内容とメロディーラインの融合が絶妙で何度聴いても飽きない。特に春が近づく頃には...。

今晩(10/2)のEXILEの震災復興特番は、宮城県の南三陸町でのライブの模様を中心に放映されていた。ご覧になった方も多くいることだろうけれど、3.11の夜、志津川中学校に避難しとじこめられた卒業生たちが、明日の卒業式で歌うはずだったEXILEの「道」を、恐怖のどん底であったであろう、ろうそく1本の真っ暗な闇の中で、誰からともなく歌い始め、やがて伝搬し最後はみんなでの合唱になったそうだ。
後日この新聞記事に目を留めたHIROが企画、この志津川中でのライブ実現となった。涙腺がただでさえ弱体化している私は、幾度かTシャツの裾で目頭を押さえるはめになる。

TVを観ながらふと、志津川中はどんなところにあるのだろうと思い立ち、Googleマップで検索。川崎から一気に宮城県南三陸町へと飛んだ。
..........................。

唖然とした。
Googleマップが最近新しくなったのは知っていたが、デスクトップに表示された東北のその小さな町の衛星画像は、震災後に撮影されたものに変わっていたのだ。
拡大すれば海岸べりの土地はまさに何も見る影もなく、影を投ずるのは積み上げられたガレキの山のもの。建物が何もない茶色の平地。すぐに他の太平洋海岸寄りの町へマウスを操作。どの町も同じだった。ガレキの処理がだいぶ進んでいるように見受けられるから本当に最近の画像なのであろう。マスコミ報道などではよく目にする衛星画像だけれど、こうしてGoogleで点と点が線でつながり海岸沿いに延々と続く同じ光景を見ると、TV報道とは別の圧倒的な現実感を伴って胸に迫って来る。大きな町も小さな漁村もおしなべて人家が消えてしまっていた。
GoogleMap

茶色い虚無のベタ塗りにわずかに白く見える幾筋もの線がある。
「道」である。
道だけはそのまま残っていた。
卒業をテーマにしたEXILEの「道」ではあるけれど、あらためて「震災」というキーワードで歌詞を振り返れば、偶然にもそこかしこに被災地へ光を投ずる「道」でもあったのは、私の思い入れによる穿った見方だろうか....。

『思い出が 時間を止めた』
今日の日を忘れるなと
見慣れた景色 二度と並べない
思い出の道
..........
道、君と歩いた今日まで
かすかに 動くくちびる
特別な時間をありがとう
「心」「勇気」「友」「笑顔」
嬉しすぎて
溢れ出した
涙が とまらない

ゆっくりと歩き出そう
この道 未来へと続く
............................
(※EXILE  Words:Shogo Kashida  Music:miwa furuse)
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2011年10月1日土曜日

ココロはひとつ

「携帯待ち受け?あぁ〜いいですよ、一発作りましょうか」

元来こういう「作る」作業は嫌いじゃないんである。だから今の職業についてるわけでもある。小学校の卒業文集で「将来なりたいもの欄」には、マンガ家か青年実業家か、または(ウケ狙いで)風呂屋の番台のオヤジ、と書いた小生。ナニカ描いたり作ったりするのが好きなのだ。自分で画を描きデザインし、図面を引き、それが実際職人の手によって店舗建築として立ち上がった時の喜びはひとしおである。クライアントに喜ばれたり、感謝されたりしたら、もっと嬉しいわけで。

先日宮前の少女野球チームQueensのBBQ大会にお招きいただいた時のこと。
Kasaharaさんいわく、父母や指導陣の何人かは携帯の待ち受け画面に、Queensのロゴを入れてるよと。Yさんのを見せてもらった。小生のブログに載っていた写真を加工し苦労して作ったものらしい。携帯画面縦長の白地に対して中央に小さくQueensのロゴ。これを見た瞬間、クリエイター魂に火がついちゃったんである。それで冒頭の言葉。
翌日Kaさんに子どもたちの下の名前をカタカナで教えて下されと、メール。速攻その晩にはYさん母から来た、きた、どっさり女の子の名前が。
ところが仕事が立て込んでいて、安請け合いをしてしまったことを後悔する日々が続き悶々と。一日一回は「アレ、実際どーゆーデザインにすっかなあ」と頭をよぎるものの、さっぱり具体的なアイディアが浮かばない...というか考えてる余裕がない。
ある日、夜仕事が終わり、ブログを書くかスコアブックの集計をやるか、この待ち受けをやるかと、考えあぐねていたら突然天から降りてきちゃったんである。雲の合間から天使がヒラメキという名の風呂敷かついでパタパタと。急いでグラフィックソフトを起動し、中央にQのロゴを配して、その上下のスペースに子どもたちの名前を英文で書き込む。キッチリバランス良く埋まるように、名前を上下左右シャッフル。するとナニカある法則が見えてきた...。名前が「i」で終わる子が多いのだった。これを全部右寄せにしたらピッタシ決まった。思いっきり女の子っぽくベースをピンクにし、一人ひとりの文字をカラフルに。「i」=「愛」のあるチームに育って欲しい、なんて(^^)
これは女子受けするかもだけど、オヤジ的にはいかがなものか。というわけで急遽もう一発作ってみる。帽子のMのマークが欲しくて、Macの中をひっくり返して探すものの、あるわけない。あるのはフレンズのFマークばかり。すぐに記念誌のNishimura編集長にメール、Queensの帽子の写真ちょうだいと。これまた速攻で写真添付返信あり。

MiyamaeのMを切り抜き赤ベースのトップに持って行きバックに白い拡散光をつけ、下にはメーカーWebサイトから引っ張って来たC球のボールの写真を配置。設立、創立、創設はSince〜がいいのか、Established〜がいいのか、Yahoo!辞書で検索検証し、Est.2007に決定。早速Yさんにメールし、Queensのみなさんに配信してもらった。「カワイイ〜!」との反応ありとのこと。

あにはからんや母のみならず、男の指導陣もピンクバージョンを待ち受けに設定したとのことだ。Koshimizu監督やYamamotoコーチからはていねいにお礼のメールまで頂き、喜んでもらえて作って良かったと実感。
何が良いのかって?
これは応援横断幕やおそろいのTシャツやチームのステッカーなどと同じく、みんなのココロがひとつになるシンボルの役目を果たすことがあるからだ。とりもなおさず、「がんばれ東北 心のチカラ」のデザインの、最大の意図もそこにあるわけで。
一応デザインを生業としている小生も、デザインに出来ることの付加価値を、今回改めて認識させてもらった次第である。
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