2013年2月13日水曜日

もう中学生Part2

「アンポンタン」という語句は全くもって死語となってしまったが、漢字で書くと「安本丹」らしい。たぶん当て字だろう。江戸時代に出回った魚が大きいわりに味が良くないとのことで、「愚か者」みたいな意味合いで使ったそうだ。しかし、筆者の小さい頃は同じ「安本丹」でも、大人が子どもを揶揄(やゆ)しつつも、そこにはどこかしら慈愛のこもった目線が感じられたものだ。(筆者の独説やもしれぬ)
今日もチューボーのアンポンタンどもが、登場するんである。

11日月曜午前は、9月オープンのとある博物館の内装パースの仕上げをしてクライアントへメール、午後は西有馬スタジアムへ。隣りの有馬中学校は受験シーズンであるにもかかわらず何やら騒がしい。カメラ片手に行ってみた。
中学校の校庭で小学生のサッカー大会をやっていたんである。それも低学年チームの試合のようだった。宮前のかなりのチーム数が集合し頑張っていた。目の前の試合は犬蔵VS富士見台。ユニフォームの背中には背番号と共に個人名が入っている。いいねえ。少年野球でも自分の名前が英文で入っていたなら、きっとユニフォームを大事にするに違いないと思った。「TAKUTO 10」なんてね。ざっくり観戦した感想。少年野球は低学年でもちゃんと野球になってるのに対して、サッカーの場合のそれは、残念ながらレベル的にかなり...。球の蹴り合いに終始してる感は否めないのであった。高学年にもなればまたレベルは違うのだろうが。逆に日本の少年野球のレベルって高いんだなあと、改めて思った次第である。

西有馬スタジアムへ戻る。今日もKenta始め愛すべきアンポンタンOB連中が遊びに来ていた。チューボーOBの常で子どもらに混じって守備位置につくと、大概は選手そっちのけで「俺が俺が」で所構わず頑張って遊んでしまう。子どもらはポカンとしているんである。ある意味中学レベルの野球を見せることは良いことであるが、子らの練習にならないという弊害も生じてしまうのも事実。
筆者レフトを守っていて内野の無邪気なアンポンタンどもに声をかけた。
「お〜い、中学生はああ〜、選手と交代で守れよおお〜!フレンズの練習になんねえぞおおおお〜!」
OBの子にこういう思いをはっきり伝えられるコーチは少なくなっている。
たぶん現コーチたちも同じ思いを持っていても、「せっかく来てくれたんだから、水を差すようなことは言いにくいなあ」と思っているに違いないのだ。誰かがヒール役を買って出ねばならないわけで。
ところが筆者がそう言うまでもなく、Kentaは自分は守備に付かず、ファーストのHiroに後ろから一生懸命に指導していたんである。キャッチャーもやってくれた。Yanagisawa代表いわく「Kentaキャッチャーうまいなあ。Buso行ったらキャッチャーやればいいのに」普段あまり褒めないキャッチャー出身の代表が言うのであった。

レフト線からホーム方向にカメラを向けてみる。
三塁には守備のShougoとランナーのRui。二人のこの会話は筆者の想像である。

下は日曜にグランドの写真を例のiPhoneアプリ「漫画カメラ」で滑り台から俯瞰で撮ったもの。プラス右上の写真は....。
Ohmori母が幼稚園児の小さい子(Haru)が腰に巻いていた仮面ライダーベルトを、Sameshima母にムリクリ巻いてみたら、ほとんどウェストが変わらなかったという驚愕の事実を撮った写真なんである。どんだけ驚愕したかと言うと、初めてTVで壇蜜やキンタロー。を見た時くらい驚いたんである。
「幼稚園児と同じウェストを保持する30代母」などとブログタイトルに書けば、アクセス数がアップするに違いない。
「幼稚園児と同じウェストを保持する30代美人妻のあらわな写真」とすれば、アクセス数はうなぎ上りになるに違いない。

夕方になりかなり寒くなってきた。すでにグランドではブラシを掛けてネットを片付けはじめている。しかしアンポンタンどもはまだ片隅でサッカーに興じていた。「漫画カメラ」で撮ってやろうじゃないのよ。左普通の写真、右漫カメ。
「もうすぐ中学生」が三人。
「もう中学生」が二人。
「もうすぐ高校生」が二人、なんである。

そしたらKentaが、
「あっ、これ知ってる!...Tコーチ、あと、新聞カメラってのもあるんスよ。」
「ナニ、それ?」
「ちょっと待って下さい」
Kentaがダッシュで自分のスマホを持ってきた。
「これで撮ってみて下さい」

Kentaに筆者の名刺を渡し、「あとでこのアドレスに今の写真送って、ブログに載せっから」それがこれ下の写真である。....アハハ、確かに笑える(^-^)

彼としばらくメールのやりとりをした。Buso入学おめでとうやら、またフレンズ行きますやら...。
最後の返信に書いたのは「そろそろカノジョ見つけろよお〜(+絵文字ニンマリマーク)」
ヤツから返ってきた返事は、
「まあ、ボチボチ頑張ります!」
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2013年2月12日火曜日

もう中学生Part1

お笑い芸人の「もう中学生」ではない。愛すべきアンポンタンどもの、フレンズOBらがやってきた。うちのOBたちは時折グランドにやってきては練習に参加したり、バスケやったりサッカーやったり、ワイガヤのうちに去って行く。我々コーチたちは選手らに野球を教えてくれることを望むのであるが、どちらかと言えば有り余る若いエネルギーを発散しに来ているようだ。それもまた良しとしようじゃないか。
特にコイツらの3世代の中坊たちは仲がいい。よくグランドへ顔を出してくれるわけで。
ましてやこの時期、受験真っ盛りでなんとも宙ぶらりんの日々に違いないから。

2月10日土曜も紅白試合。試合前嬉しい申し出があった。
「Tさん、紅白だしちょっとスコアラーの練習しようと思うんですけど」と、Ohmori父。
「いいね、いいね!じゃあ、これでやってみて。これOhmoriさんにあげるから、持って帰っていいから」と、何かの参加賞でもらった新品の青い表紙のスコアブックを手渡す。彼は欣喜雀躍、子どものように喜んでいた。それを見て筆者も思わず目を細める。
兄弟がいるので、これから長いことフレンズに関わるであろうSone母もスコアブック記帳講習会にメモ帳片手に参戦。彼女は野球ルールそのものからして知らないから、ポジションの番号から図解で教えてみる。
「ピッチャーは守備番号は1番。キャッチャーは2番、ファーストが3番で.....」
「.....その他にも打順にも番号があるし、ベースそのものはABCで表記するのよ。例えばファーストが一塁ゴロを捕って自分で塁を踏んでアウトにしたら、3の下に黒丸書いて下半円、3の横にAを書いて、中央のココにローマ数字の「Ⅰ」を書いちゃって....」
「俺の経験から言うと、数字でなんでも覚えようとしたらダメ。頭の中で俯瞰で考えて、ビジュアルに絵的に覚えたらいいよ」
「いやあ、アタシもうわかんないですう!」なんて言いながらも、シコシコ、メモしていた。
Ohmori父は読書家だしSone母も細かいことが大好きなので、二人ともアカデミックなのだろう。
筆者、内心ほくそ笑む。「いいぞいいぞ、どんどんスコアブックにハマっちゃえ」
ある人種には苦痛かもしれないが、覚えてしまえばある人種には快感なんである、スコアラーなる職業は。

中学坊主たちが守備位置につき現役小学生が打撃練習。
さすがは中学生である。無走者ランナーはいないのに内野ゴロはみなWプレーゲッツー体勢で、まず2塁へ送球すかさず1塁へ転送、バッターランナーを一塁でアウトにする。中学生ならば当たり前田のクラッカーなんである。見ていて気持ちいい。

チューボーですよ!
愛すべきアンポンタン(死語ではある)どもはこいつら。

フレンズの人数が少なくあまり勝てない冬の時代の主将だったKenta。川崎北シニアから兄と同じBuso高校に進学が決まったばかり。根っからの野球小僧だ。午前中はクラス分けの試験に行ってきたそうだ。彼はキャプテンシーを発揮してくれた数少ない主将であったと思う。特に小さい子の面倒見が良かった。低学年の子が重い道具を持っていたら、すぐ取り上げて自分で運んであげるような子だった。筆者は彼が入部2,3年生のころキャッチボールをしていて、妙に変な動作をしていたから疑問に思って近寄った時、体調が悪かったせいか、筆者のジャージにいきなり盛大に嘔吐したことがある。入部間もない彼の体調不良を見抜けなかった指導者としての自分を情けなく思った記憶がある。真夏だったのでパンイチになりプールの水道でジャージを洗った記憶は今でも鮮明だ。
それがこんなに立派な男子になっちゃったんである。(写真左上)
以下、長くなるのでサックリと。有馬中学校野球部の面々が主である。
天真爛漫のいつも笑顔のOto。
口から生まれて常に喋ってないと死んじゃうという伝説を持つMuroi。
4月からは有中野球部の主将になるHiroto。
Kentaと同級の中学3年、hirotoの兄Kohta。
懐かしい!久々にグランドへ来た、いかにも中学生っぽくなったOhtake。

他にも久々遊びに来たOBがいた。
OBと言ってもオールドボーイではない。筆者と同じ父コーチだったHatakeyamaオヤジだ。OBはOBでも強いて言うなら「オッサン坊や」だ。今でも彼とは飲み仲間である。
しかし、彼のバッティングピッチャーは天下一品なのだ。緩急自在、子どもが打ち易いド・ストライクをばんばん投げれるんである。今でも岩手弁が抜けない、飲むと最高にアホになる愛すべき大バカ野郎なんである(^^)
さて今日、2月11日月曜。(....長いなあ、このブログ。これからまだ続くんかよっ!)
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待てよ...。
今日、月曜11日の話は日曜の延長のようなものだし、出し惜しみをしてしまおうと決めた。
このブログ、最近特に、とにかく長いんである。自分でも嫌んなっちゃうくらい。
何でも長ければいいというものではない、というのは男女間のソレと同じく、太古の昔から言われているオトナの常識なんであった。
であるからして、「寸止め」にして第二弾(発)目は次回のお楽しみなんである。
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2013年2月10日日曜日

真面目重厚無骨無口

先日来からまだまだ消火も消化も昇華もしていない話。「スポーツ指導者」の暴力・体罰問題である。

なにやら消化不良のままブログを書きおえたのであるが、ひとつには速攻で連盟のNishi
muraさんからコメントもらったことで、咀嚼、飲み下せた感あり。
更にもうひとつは昨日の「小野口純子」さんのブログで星野監督の「スポーツ指導者」の見解を紹介する文面を読んで、更に溜飲が下がったんである。
「指導者が萎縮してはならない」奇しくも全く同じ思いであった。
子どもや親たちや世間体の顔色を伺いながら、指導することはもはや指導とは言えないのではないか。今の教育現場では、そういう残念な教師がいる。残念なのは教師のせいではない。教育委員会に睨まれたら出世は遠のくどころか左遷もあるから。その教育委員会は親の顔色を伺い世間体を気にし、風見鶏のごとし。なんとも悪循環である。数年前、この国のある地方のとある小学校でのこと。超問題児である小学生の自分の教え子に蹴りを入れられ、罵声を浴びせられても、ぐっと堪えて何も出来なかった教師の話を知っている。その子は「おい、おめえ、手を挙げたら捕まるぞ。警察呼んでもどうせ俺は少年保護法で平気だからな」みたいなことを叫んだらしい。傍若無人極まれり。悲しい。実際警察沙汰になったそうだ。これは極端な例ではあるけれど、当の子どももそうだが、結局は親の家庭内教育なのではないか。

必読....下記リンク
ブログ「小野口純子」“闘将” 星野監督の教育理論

それはさておき、一昨日、仕事の打合でお台場へ。フジTVの巨大な銀玉を見ながら帰路につく。鷺沼へ帰り、徒歩で自宅兼仕事場へ、てこてこ、とぼとぼ、ほにほに....。
途中、道路工事をやっていた。

筆者、建設重機が大好きなんである。
彼ら重機はニッポンのインフラ、国土を実際的直接的現実的に造りあげている立役者だ。
街を歩いていて建築現場を目撃したらしばし時が経つのを忘れてしまうんである。
昔読んだ椎名誠の本で、建設重機たちが夜中にバトルを繰り広げる小説があった。様々なジャンルの建設重機同士で、深夜に轟音をとどろかせながら闘うのである。わくわくしちゃう(^-^)
この日も面白い「はたらくくるま」を観察。
専門的な名称は知らないけれど、最終的にアスファルトを均(なら)す役目を担ってるヤツに違いない。

これを見て映画「バットマンカー」を思い出した。
更に、映画「アキラ」の金田が乗り回すバイクなんかも。ちょと似てなくないか?

人も機械も、重厚で無骨で無口で真面目で、ひたむきな野郎にはなんか魅力を感じてしまうんである。彼に無精髭が生えていれば、更に完璧だ。

※偶然であるがこのブログを書いてる最中に小野口さんから「闘う親と子」にコメントをいただいた!

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2013年2月7日木曜日

闘う親と子

昨日のブログは夜、ある所からiPhoneで投稿した。Minamiの2度めの外泊許可が出たとのことで、夕方から宮前区内の娘の家へすっ飛んで行ったんである。その後娘夫の母とうちの配偶者と筆者3人で飲んだのであった。

「めざましテレビ」の大塚さんがTVに生で出演した日、歌舞伎の団十郎が没した。
大塚さんはリンパ性白血病を克服しての復活。団十郎は骨髄性白血病との長年の闘病の結果、肺炎を併発しての悲しい最後。リンパ性は復帰率が高いのに比して、骨髄性は決して高くない。何か皮肉な結果ではある。
Minamiは後者である。

目に入れても痛くないどころか、目に入れてころころ遊ばせてしまってしまいたいくらいのMinamiが、正月に続き自宅へ2泊の予定で帰ってきた。仕事そっちのけでいそいそ出かけた。抵抗力が弱いため感染症が怖いのであるが、病院からの許可が出たのだろう、外を軽く散歩、近くのローソンへ行ったりして。ガラスウィンドウには「上作延ノンキーズ」始めたくさんの少年野球チームの部員募集ポスターが貼ってあった。昨日投稿の写真では防寒重装備でフードをかっぽり被っているから分らないけれど、頭髪はほとんど無いに等しい。でも本人は至って気にしてないのがせめてもの救いである。

昨年11月から入院してほぼ3ヶ月。なんとか順調に推移しているとのこと。抗がん剤の副作用も軽いほうらしい。病院で同室の男の子はやはり同じ病なのだが、副作用がとてもひどい状態なのだそうだ。Minamiが幸運だったと思うと同時に、その見知らぬ男の子のことにも思いを寄せると気が晴れない。その子にも「頑張れ」と祈ってみる。

娘は一日も休まず病院通い。驚いたのは娘夫のKazumaも忘年会と風邪をひいた3日間だけ除いて、仕事が終わり次第、毎晩Minamiの顔を見に病院へ通ったそうだ。日本中で、世界中で、いろんな難病と闘う親子に頭が下がる思い。
フレンズ母たちの手作りの千羽鶴を見て、Minamiは「わあ、きれい!」と言ったそうだ。
知らぬ間に言葉も少しずつ覚えているみたいだ。

がっつり抱っこした。ちいさくて柔らかい感触。
いつものようにチューしたかったけれど、オヤジ菌が感染するといけないと、必死に思い留まったのは言うまでもない。

このブログを通じ、筆者いろんな方にお気遣いいただいたわけで、そのご厚意に感謝すべく途中経過報告にて、今日は書いてみた。
またいずれ良い報告が出来るようになりたい。

気分を変えて。
うちのワンコ、「りん」の変な写真をアップ。眩しいので目を細めているのだが、なんだか面白い絵になった(^-^)/
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2013年2月5日火曜日

ありがと!

今日、二度めの外出許可。
順調みたいです。
思わず溶けてなくなるまで、抱きしめたくなった^o^
明日からまた三段かいめの治療に移行。
皆に感謝^o^
ありがとう(^O^)/

2013年2月3日日曜日

グランドに感謝

何しろ年が明けてからこのかた、1月はグランド使用が全滅だったんである。
雪が降ったり霜がおりたりのグズグズ状態で、天からはさんざん降りてきたが、小学校からの許可はおりなかったわけで。

それでもしぶとくコーチや父たちがあちこち駆け回り、時間と場所を確保してトレーニングは実行していたようだ。子どもたちは大人に感謝しなきゃである。
今日はやっと文字通り晴れてグランドでの練習となった。今月はシーズン開幕で新チーム初のグリーンカップがあるし、オレンジボール東京本大会も控えているわけで、ほっと胸をなで下ろした。

キャッチボールやノックもそこそこに今日はいきなり紅白試合を敢行である。
5年以下のレギュラーチームと下級生チーム。6年生の3人は下級生チームに入り試合開始。これで人数がギリギリなのがちょっぴり痛々しい。今年も本気で人を集めないとヤバイのである。
しかし今の子たちはそんなことなどどこ吹く風の又三郎。昨日今日と久々の広いグランドで伸び伸び野球をやっていた。

冬のあいだじゅう校庭が使えない雪国の少年たち。更にまだグランドどころか野球も出来ないでいる被災地の子たちに一瞬思いを馳せてみた。

グランドで野球が出来る喜び。しっかり感謝しよう。
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2013年2月2日土曜日

何が暴力なのかについて

普段からここで稚拙な文章を垂れ流している筆者が、自分の文章力を顧みず、こともあろうに今大問題となっている「体育会系の暴力的指導」について、言葉を選択しながら論じるのはいささか腰が引ける。ここ数週間TVやネットのニュースに上がるたび、仕事の手を止めてじっくり自分なりに咀嚼していた。しかし咀嚼してもなお、いまだに喉元を通過しきれていないのである。ニッポンが猫も杓子もこぞって「暴力100%反対」という時勢に対して、どこか割り切れない何かが、胸の中に澱んでいるのを自覚しているからだ。でもいつかは書かなければという、妙に後ろから追い立てられるような使命感、かつ焦燥感みたいなものがあった。

大阪桜宮高校のバスケ部員の自殺に端を発し、全日本柔道女子の告訴状がJOCに送られ、監督解任にまで至った連日のマスコミ報道は周知のこと。問題はこれからだと思うのである。今回の体罰や暴力が何も、高校の部活やオリンピックナショナルチームの問題に限ったことではないことは、報道を見ている読者諸氏も感じていることであろうと思う。特にスポーツに関わった経験者なら尚更だ。筆者はたまたま、少年野球指導者の端くれにいるわけで、特に自分の置かれている環境に準じて、事件を置き換えてみてしまう。我がフレンズはどうなのか。うちの宮前のチームはどうなのだろうかと。高校野球ではいまだに「体罰・暴力」的指導は根強くあるであろうし、小中高大学社会人に至るまで、他のスポーツ団体においても少なからず同じ問題を孕(はら)んでいるはずだ。おそらく橋下大阪市長が言うところの抜本的な学校再建や、全柔連による監督解任だけで丸く収まる話ではなかろう。スポーツ界も越えて日本のあらゆる教育や指導というものに対して、ニッポン総国民「体罰・暴力」反対に大勢が傾くに違いない。

筆者ももちろん「暴力」は大嫌いだ。小さい頃は友達とよく取っ組み合いの喧嘩もしたが、基本的に肉体的な争いごとは好きではない。スポーツとしての肉体的競合はやるのも観るのも好きだけれど。国際的な世界基準としても体罰を与えて熱血指導するなどは、およそ考えられないことらしい。桑田真澄氏が熱く説くように「体罰・暴力」的指導は百害あって一利無し、にも頷ける。
「暴力はいけない」は当たり前である。

では果たして暴力の定義とは何なのだろう...。

ネットでさっくり調べてみた中で、こんなのがあった。
例えば電車を待っている列に並んでいたとする。電車がホームに滑り込んできたとする。すぐ目の前のバカカップルがイチャイチャして前に進もうとしないとする。電車の発車チャイムが鳴っても尚、遅々として乗り込もうとしないとする。こんな時普通ならどうするか。思い切り罵声を浴びせることも選択肢のひとつではあるが、オトナならば少し手のひらやカバンでもって相手の背中を前へ押し込むように、それとなく促し啓蒙してやることであろう。「あとがつかえてんだぞ、さっさと乗れよなっつーの」なんて心で毒づきながら。
ところがである。この行為も法律上は「暴力行為」になるんだそうだ。相手の衣服や体に触れたとたんに法的実効力を伴うのだ。一般常識からして裁判上はおとがめ無しになるのだが、これって如何なものかと思う。一般常識に鑑(かんが)みて一般常識から逸脱した法律でいやしまいか。

何が暴力でどこからが体罰なのだろう。
筆者が斜(はす)に構えすぎて天の邪鬼なのだろうか。もちろん暴力や体罰を容認するものでは決してないけれど、これからこのニッポン、どうなるのであろうかと杞憂する。例が不適切かもしれないが、極論すればどこかしら、戦時中のイタリアのファッショに通ずるような全体主義に走ってしまうのではないか。世間の目に怯えて言いたいことも言えず、大勢(たいせい)に迎合してしまう人が増えることになるだろう。おそらく昨日まで子どもの頭を軽くはたいていた野球指導者も、明日からは手のひら返すように「暴力反対」を声高(こわだか)に叫ぶことだろう。

ちょっと前の話ではあるけれど、某アイドルが10代の頃喫煙だか飲酒だかをやっていたことを、若かりしころのやんちゃな記憶としてブログで軽く書いたら、芸能界から抹殺されたということがあったと思う。そのうち近い将来、少年野球指導者として子どもの頭を軽くはたいたことを回想録としてブログに書こうものなら、速攻「幼児虐待、暴力、体罰」の権化(ごんげ)として、当局に逮捕起訴されて控訴も認められず325年の刑に処せられることになるかもしれない。

翻(ひるがえ)って「言葉の暴力」。パワハラのひとつである。
園田監督は選手に対して「死ね」と言ったそうだが、前後の文脈がどうだったかは知る由もないが、事実とすればこれはいけない。
「言葉の暴力」は時に肉体の傷よりも心の傷のほうが根深く残るものだ。体の傷は治るけれど心の傷は一生トラウマとなって暗闇の奥で癒えずにいることがある。かく言う筆者も今では少なくなったと思うけれど、若い頃は煮えたぎる思いを相手にぶつけて論破しても、どうにも気分が悪く、「どうしてあんなヒドイことを言ってしまったんだろうか」とその晩、猛省のあまり、眠れない日があったりした。反省するくらいなら最初から言わねばいいものをと。

「差別用語」の対極にあるものとして「言論の自由」がある。
ずいぶん昔、「差別用語」ではないとして「言論の自由」を訴えた作家連合があった。確か筒井康隆氏が筆頭だったと記憶する。身体に障害を持つ方への差別的用語はもとより、「左利き=ぎ○ちょ」や「インスタントカメラ=バカチョ○カメラ」「独身者=チョ○ガー」など列挙すればきりがない。差別的感情を以てしてそれを言葉に書いてしまうことはもちろんいけないことだと思う。しかし、なんでもかでも、締めつけるのは正に自由の剥奪、言論統制に繋がりかねない。そのボーダーラインをどこに線引きするか、難しい問題ではあるけれど。

暴力や体罰はいけないことと思うけれど、感じ取る側に暴力や体罰を受けたという認識があるかないかにもよるところが大きいはずだ。技術的な瑕疵(かし)ではなく、だらだらとした練習態度に対して、指導者が目の前で我が子に対して叱責することも果たしてパワハラになってしまうのか?近い将来親によっては「うちの子に対してなんて酷いことを!訴えてやる」と意気込む向きもあろうが、逆によくぞ言ってくれた、もっと厳しく指導して欲しいと解釈する親もいるのも事実である。受け手の受け取り方で大きく変わってしまうのだ。

連日の報道に忸怩(じくじ)たる思いをちょっぴり抱えながらやっと書いてしまったけれど、ここまで書いておきながら言葉足らずでまだスッキリしない気分である。
ダメなものは絶対ダメだけれど、だからといって、極端な規制に盲目的に大勢がなだれ込んでしまう風潮を危惧してしまうのである。

以前にも書いたような気がするけれど、最後に高校時代のエピソードをひとつ。
筆者の年代だから肯定的な話になってしまうのかもしれない。校内暴力が日本中を席巻していた頃の年代の人には真逆の想いがあるやもしれないのだが。これを美談として、すなわち暴力を肯定するものでは決してないことは、賢明な読者ならご理解いただけるはず。

公立男子高校3年生の秋。
学園祭で模擬店を企画して気心知れた友人数人で喫茶店をやった。喫茶「アリス」当時ラジオの深夜放送でハマっていた、谷村新司のバンド「アリス」にあやかったものだ。山形では誰も知らない時代である。
売上から原価を差し引いてのささやかな純益で打ち上げをやった。多少やんちゃ坊主だった俺たちは深夜の居酒屋で乾杯。ナナハンで来ていたヤツはジュースで乾杯であったが、筆者も含めてほとんどが慣れないビールを飲みタバコをふかした。ちょっぴり「不良」になった気分であった。
翌日朝学校に行くと、ある理由があって飲酒が学校にばれていた。
速攻全員職員室に呼ばれる。陣頭指揮に当たったのは柔道部顧問でもあり体育の先生でもあり俺の担任でもあった、H先生。普段から生徒には厳しく頭をたたく、ケツを蹴るなんて当たり前。俺たち生徒からは陰でバカにされながらも、本当に嫌いなヤツはいなくどこか憎めないキャラの先生であった。

個別事情聴取のあと、全員一列に並ばされた。
「いいか、おまえら!今から顔をビンタするから歯をくいしばってしっかり立っていろっ!」

一人ひとりへの制裁のビンタの乾いた音が職員室に響き渡る。
俺の番になった。
ぐっと奥歯を噛み締め、H先生の目を見据える。

先生の目は赤く涙を流していた....。

成人して結婚し自分に子どもが出来て人の親になり、初めてあの時の先生の涙を理解したように思う。手を挙げたほうにも心の痛みがあるのだということを。
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