2015年5月19日火曜日

減ったもの増えたもの

5月17日日曜日は大袈裟でなく、筆者にとって間違いなく特別の日となった。
宮前区少年野球連盟主催による公式戦での優勝は13年ぶりの快挙。
「宮前区防犯学童軟式野球大会」の頂点を極めたのであった。連盟公式HPには、

◎本大会の部
優勝:有馬フレンズ《古豪、大復活!!(13年ぶりの優勝)》。
現6年生選手たちのほとんどが、第一回オレンジボール宮前区大会のチャンピオンメンバー。スクスク育ったぁ!」
と、ひとかたならぬ思いを寄せていただいているNishimura副事務局の特別コメント。

想い起こせば幾星霜、筆者が少年野球の世界に入ったのは......。
なんてゆー無粋な文章は書きたくない。ストレートに嬉しい、のひと言に尽きるわけで。
日曜は仲間と飲み会、ほぼ午前様。翌日にはSohma会長からお祝いのLINEがあり、感激を新たにした。試合後に会長から握手を求められてきたことが脳裏に蘇り、朝から胸が熱くなってしまった。今日はやっと写真編集を終えたばかり。記事はまた数日以内に書きたいと思っている。

今回はこの写真でご勘弁なんである。
表彰式に並んだ優勝カップを撮ってみた。

48年の歴史がある名誉ある大会である。フレンズなどはまだ胎内にいて生を受けてすらいない時代から連錦と続く大会だ。
もっとぐぐっと寄って撮ってみた。

息子・娘の小学生時代から少年野球に関わってきて、当時に比べ増えたのは白髪と体重、減ったのは髪の毛と若さ。
銀色に輝くカップに、どこかで見たようなオヤジの姿が今また新たに転写されたように映り込んでいたのだった。

※優勝への試合展開、閉会式、過日のQueens決起会などはまたいずれなんである。
※もうひとつ驚いた。これを深夜アップしたあとアクセス数を見てみたら、月曜一日で102をカウントしていたんであった。普通50から80がいいところなのに、100超えは久しぶりなんである。読者のみなさまありがとう(^-^)
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2015年5月16日土曜日

キミは満塁弾を見たことがあるか?

何しろ防犯大会初戦及び2回戦の怒濤の執筆なんである。これまた時間がなくよほど飛ばそうかと思ったのだけれど、少しでも記録に残したいのと、せっかく撮った写真をこのまま闇に葬っては写真が可哀想なんだからなんである。
その代わり文章は今度こそザックリ行くと己に誓いつつ、ココロを鬼にしてペンを執る筆者なんである。

初戦は野川台フォルコンズ戦。ここ数ヶ月でこのフォルコンズから一挙Queens姫が3名入ってきたんである。なんという快挙であろうことか!これほど嬉しいことはないのだった。これでQが一勝でもすれば盆と正月が一緒にやってきたようなものだ。

試合前のグランド整備にスタンバっているフレンズオヤジ軍団。男にしかわからないジョークで盛り上がっているんであろうか。
5年連合Hirata監督も本年度のリサーチですでにあちこちを見回っているんである。真剣な眼差しが選手たちに注がれる。

Watanabe監督率いるフォルコンズ軍団。昨年連合でも知り合ったTanakaコーチもベンチ入り。フォルコンズナインも奮闘する。

スコアはF軍が誇る優秀なるスコアラー部員に任せて、筆者はセンター方向からレンズを向ける。このアングルは普通なかなか撮れないであろうから面白いのである。一直線上に白いボールを中心に何人もの人物が画角に納まるんであった。

昨年ユニフォームも帽子もロゴも全て一新のフォルコンズ。グランドに眩しく映えるのは何も天候が晴天だったからだけではないだろう。

初戦はフレンズが突破した。
まずは一勝である。
++++++++++++++++++++++++++
GW明けて翌週日曜は2回戦。馬絹メイツ戦であった。前のフォルコンズもこのメイツもフレンズの近隣チームである。会場は少年野球のメッカ第一公園ドーム。
これまたセンター方向からシャッターを切る。筆者は考えたんである。序盤はセンターから撮って中盤は各方面へ徘徊し最後にはベンチ付近で撮ると良いと。なぜなら最後勝った瞬間に外野などの遠方にいると、歓喜の瞬間を皆と共有出来ないからだ。昨年あたりからこのローテーションが最良だと気づいたのだった。

先のフォルコンズ戦でも書いたけれど外野からのショットは、父母たちはなかなか撮ろうとしないので、このブログに載る正面を撮った写真に、我が子の意外な表情とかに新鮮な感覚を持たれるのではないだろうか。カメラを持って外野をうろちょろするのは、筆者といつもウェストポーチ姿のサンダースのTakahashiさんくらいだろう。

ここでまったり撮っていると、しばらくして電話がかかってきた。連盟Nishiharaさんからだ。更にSatohさんも駆けつけてきた。いったいナニか?
センターからフェンス近くでカメラを向けると打者の視界に入り集中出来ない怖れがあるからだった。またレンズに光が反射して眩しくなる可能性もあるだろうし....。
反省...。ましてや連盟広報の帽子ならまだしもFの帽子をかぶっていたんでは尚更というものだ。50過ぎてジジイになっても尚、日々反省の半生を送る私なんである。

但し外野奥の森の中の大観衆の中に引っ込めばOKとのこと。下の写真1は標準で撮ったもの。2は少しアップにして。3はかなりアップにして。4は光学ズームを超えてデジタルズームで更にズームアップ。うーん、一眼レフが欲しい。

試合はFが初回Ruiのいきなりの二塁打で出塁しShohgoが送り、更にBKなどで2得点。
Mも食らいつくものの1本の安打が出ずに苦戦する展開に。デッドボールをよけるために牛若丸のように宙を舞うMの選手。こんなショットもここからならでは。

4回はFの超ビッグイニングになったんである。
1死後、9番4年生イケメンShohmaがタイムリーで1点、その後トップに返り塁を埋めて行くF打線。満塁となった場面でついに登場したのが3番キャッチャーYui。ここ「晴耕雨読」でお馴染みとなった大師球場で対ウルフ戦で2本のホームランを打っているスラッガーなんである。
筆者は今年何本も彼のホームランを見ているが、願いはこの聖地第一公園でのそれなんである。ここで打ってこそ本物という価値観は崩し難い。

.....(Yui、ここで打ってみろ!)....ファインダー越しに念じた。

肩がぴくりと反応するのを見逃さずシャッターを切った。(下はその瞬間の写真)
私の、いやチーム全員の思いが通じたのだろうか。
こともあろうに第一球目、初球ストライクを見事に振り抜いた一撃。白球はライト線の上空を高々と気持ちよく舞い上がり、素敵な円弧を描いてフェンスの向こう側へ着弾したのだった。
グランドスラム。満塁ホームランというやつを初めて見た。
怒濤の歓喜に湧くフレンズベンチ、応援席の父母たち。
あとで彼に訊いてみた。
「Yui、おまえもしかして初球から狙っていたんだろ?」
「あっ、はい。真ん中に来たんで....」
ヤツは照れることはあっても傲慢さのカケラもなく、いつもの謙虚な姿勢で朴訥に答えてくれたのだった。

結果はこの回に7得点、合計9:0でFのコールド勝利。
更にまたしても主将でエースRuiが完投完封ノーヒットノーランの快投を演じたことも忘れてはならない。一般論で言うところの強いチームが圧勝で勝つときのパターンはこういうものなのだろうか。筆者の記憶が確かならばフレンズがこんなチームになれたのは100万年ぶりじゃないかと思う。

++++++++++++++++++++++++
これを書いているのは5/16土曜の夜。明日はもう防犯大会の準決勝・決勝なんである。
その前に間に合って良かった。力を振り絞って書きあげて良かった。
明日の結果はいかに....。
それにまだQueensのBBQ中止からの決起会ブログも書かねばならぬ今日この頃なんであった。

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2015年5月13日水曜日

笑顔の向こうの遠い記憶

昨日の村山杯優勝の軌跡のブログにひとつ掲載し損ねたものがある。データがPDFではこの「Blogger」サイトではダメなんである。よって拡張子をjpgに変換してやっと載せちゃうのである。連盟HP、WEB担当のNishimuraさんの仕事であるところのトーナメント表だ。毎週お疲れさま。みなさん是非連盟HPをご覧いただきたい。「HPを見てくれている人がいる」と認識出来ることで次回の仕事への意欲が湧いてくるのは、ブロガー同様WEB管理者とて同じなんである。
※画像は連盟HPから出典。

さて村山杯の直後はかなり時期遅れのグリーンカップ決勝であった。さっくり行こう。対戦はお隣チームの有馬子ども会野球部。
試合前にシートノックを担当したのは、28番Ohshiro、Ruiのオヤジだ。いや、オヤジと言っては失礼か、立派にベンチスタッフとして陰になり日向になり活躍しているんであった。
カメラで撮ったものをその日のうちにフレンズLINEにアップ。筆者がもし女ならこの男に口説かれたらほいほいどこにでもついて行ったかもしれないくらい、なかなかのイイ男なんである。するとどうだろう。奥様方から「カッコイイ」「素敵〜」「輝いてる〜」「マジっすか」「惚れてまうやろー」と、称賛の嵐、あげくの果てにOhshiro夫人のんちゃんからは「改めてダンナに惚れ直しました♡♡」とのコメントが...........
......あったかどうかは読者諸兄のご想像にお任せしたい。(^-^)

先発はエースRui。有馬子ども会はKobayashiくんだ。相手チームに女子がいるとすぐQueens広報部長の職責に目覚める私なんである。大声を出してセカンドを健気に守るはQのHonamiであった。アリコナインの声は決してFに負けていなかった。

試合内容は割愛したい。グリーンカップという準公式戦ということもあるけれど。スコアラーだったので写真もないし。結果は13:0、4回コールドであった。Fは1番から7番まで全て安打を記録、8,9番も得点をし勝利に貢献、全員で勝ちとった優勝であった。守りではわずかHashimotoくんの1安打に抑えた。準公式とはいえ今季連日の2冠達成なんであった。


試合後は練習だ。
思うにどのチームでも卒団したOBが中学高校、または大学に行っても尚、母体チームに気軽に遊びに来てくれるのは嬉しいものだ。OBが来てくれるチームに悪いチームは絶対ないと思う。
我々コーチが「おまえは入部したころは砂遊びばっかしてたのになあ」と言うのは、もはやOBを迎えたコーチの慣用句となっている。大人になった姿をみてそのギャップがまた楽しいものなのだ。
今日はすでにフレンズコーチとして毎週来てくれているShohtaに加えて、中学生のBenやHiro、更にOBのTakaとKazuの兄弟が来てくれた。かつては9年間3人の息子娘と共にチームに多大な貢献をしフレンズの屋台骨をしっかり支えてくれたYanagisaki夫妻の子どもたちである。現在兄貴は社会人、弟は大学生。かつては立花学園と宮城気仙沼東陵で高校野球をやってきた。
キャッチャー出身の代表に言われてキャッチャーだったKazuが、Fの現役キャッチャーYuiにアドバイスを送る。Takaはクールな表情で目を細めて現役選手たちを見守り、代表と歓談する。ふたりとも実に好青年になったものだ。

今、ふいに記憶が蘇った。

あれはTakaが3,4年生だった頃か。その日は厳冬の中冷たい雨で有馬小の体育館を借りてのサーキットトレーニングだった。途中少し遊びを取り入れた練習にしようと、子どもたちを2組に分けてのバスケットボールの紅白試合になった。当時私はまだバリバリに体が言うことを聞いてくれていたので、大人も参加することに。「わあ、Tコーチはこっちだあ〜!」私が片方のチームに入ると子どもたちから歓声が上がり、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したものだ。その中でTakaが飛び跳ねながら屈託のない笑顔で両手を広げ私を迎えてくれた。子どもが卒業しフリーのコーチになって数年目だった頃だろうか。
子どもの笑顔に接したくらいで、いったい俺はどうしたものだろう。訳もなく妙に感動した覚えがある。とても些細なことだけれど少年野球のコーチになって良かったと思えた瞬間なんであった。あの笑顔はその後ますます少年野球に埋没するひとつの契機になったのかもしれない。
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2015年5月12日火曜日

優勝...積年の想い

村山実杯は川崎地区の少年野球46チームが参加する、27年の歴史を持つ実に大きな大会なんである。あの阪神タイガースの村山実氏の名を冠した、各区入り乱れての他流試合とも言える群雄割拠的ビッグタイトルなのだ。

ついに決勝まで登り詰めたフレンズ。筆者はスコアラーを務める。今年のフレンズの優勝を応援してくれていた故笠原さんのために、試合前テーブルに献花した。もし連盟、審判団からおとがめがあればベンチの地面に置くつもりであったが、最後まで何もなく無事一緒に試合に臨むことが出来たのだった。
本部席ではすでに準決勝で散ってしまったウルフが、同じようにチームとして献花をしていた。その昔は「ウルフの歩くピッチングマシン」の異名を取ったGotohさんのお顔も見えた。Gotohさんのバッティングピッチャーの勇姿を記憶している人も、宮前では少なくなったであろうか。

決勝戦ならではの試合前の選手挨拶。大舞台慣れしていないとはいえ、フレンズナインも少しは経験してきた。緊張で黙りこくって言葉をなくす子はもういない。それどころかなかなか立派な姿になってきたものだ。
対戦相手の南生田ウィングスの戦士たちもにこやかに声を張る。あの名門常勝富士見台ウルフを準決勝で撃破した強豪である。後援の宮前審判団はKosaka審判部長、Hayashi副部長始め豪華ラインナップ。


はい、そーなんである。試合中の写真はないんである。スコアラーなので。
なので文章で濃厚にいく。
初回FはShohgoが相手の度胆を抜くスリーベースヒットを放つが無得点。
反対にその裏先発FのRuiは緊張からか珍しく制球に苦しみ、ボールが先行四球と死球のランナーを3番Horieくんに返されて2失点。不安な立上がりとなった。子どもは緊張で調子が狂うことがあっても顔に出さないことがある。決して責めてはいけない。信じることだ。

Fは初回4四死球に続き2回裏にも2個の四球に相手W打線の猛爆が続き4失点。
早くも6:0の大差がつく。さすがにベンチや応援席にも暗雲が垂れ込める。しかし回はまだ浅い。今のフレンズなら諦めるには100万年早いってもんだ。諦めずこつこつ1点ずつ返せと、不機嫌な監督がぼそりナインに言う。

4回やっと1点を返し6:1となった次の5回のF軍の攻撃。
前回も書いたがこんな時に下位打線がやってくれた。7番Kyohが先頭でヒット出塁すると、8,9番が連続内野安打で無死満塁、相手失策に乗じてShohgo適時打、更に4番主砲Hajimeのセンターオーバー2点タイムリー、Kohkiのヒットなどで一挙7得点6:8と、とうとうゲームをひっくり返したんである。湧きに湧くフレンズ軍団。スコアラーのくせに冷静さを欠いて筆者の声も若干枯れぎみであった。

ところが全く同じパターンで巻き返してきた南生田W。下位打線の3人が安打で出塁しなんと2点奪取。8:8の同点、また試合を振り出しに戻してしまった。

しかーーーーし、なんであった。
6回表Fは一死後1番に打順が回る好打順。Ruiが脚で稼いだ内野安打と四球、それを主砲Hajimeの強烈な3塁打とKohkiの単打などで3点勝ち越し。8:11となったのだった。
点に火がつくと書いて点火と言う。
線に火がつくのは導火線。
打線に点火され導火線で火を繋ぎ、最後はダイナマイトが爆発し得点する。野球の得点方法の理想的パターンである。今のフレンズ打線はこれを具現化している。但し有頂天になるには1000万年早いってもんだ。
最終回Wに1点を返されたが、立ち上がり不調だったRuiは見事に蘇り抑えた。

9:11の大逆転、死闘の打撃戦を制した。

優勝...........。

この子らに最後の帽子投げをやらせてあげられて本当に良かった。
そして指導者は驕り高ぶらず、むしろ感動をくれた子どもたちに感謝しなければいけない。野球をやっているのは指導者ではなく子どもらなのだから。

現監督Satohが6年生だった黄金時代にこの村山杯で優勝。1994年のことである。実に21年ぶりの冠奪還なんである。また宮前公式大会優勝の二文字を最後に目にしたのは、2002年の連盟事務局Nishiharaさんの息子の時代に防犯大会での優勝。
私はフレンズに関わって約20年。フリーコーチになってからは16年。
2002年以来13年間この「公式大会優勝」を待ち続けたことになる。男は相手がどんなにイイ女でも待ち合わせに遅れてきて13年間待つことはない。忠犬ハチ公だって主人の帰りを13年待つことは不可能である。

十数年ぶりの「優勝」という言葉の心地よい響きに私の脳は痺れて、しばらくベンチに茫然と佇むのであった。

閉会式はなんとも気持ちよいままに粛々と進んで行く。各チーム、ノーサイドである。

各賞選手にRuiが選ばれた。大会通じて満場一致であろうと思う。サンダース(Queens)のAyaも受賞。蒼い空の上から笠原さんもニンマリしているはずだ。
幹事チームであるウルフの昨年父母のみなさん、お疲れさまでした。ありがとう。感謝。

持田県議と全員で記念撮影。

寡黙なくせに陽気な縁の下の力持ち的存在の28番Ohshiroコーチが、サプライズで男たちに呼びかけ、監督Satohを胴上げしちゃったんである。ちょっと重そうだった(^-^)
更にYanagisawa代表も。
優勝への思いは数年間子らをチームに預けて一緒に活動している親たちもそうだが、筆者のような長年渇望してきたコーチにはその優勝への思いの深さが違うのである。チームと共にどん底を這ってきた経験を持つ者にしかわからない感慨という重みがあるからだった。短編小説の厚みと百科事典の重みとの差があるのだ。
そんな筆者を遥かに凌ぐ重たい思いがあったであろう、代表なんである。創成期からチームを指導し見守り続けてきた人だ。Yanagisawa代表の前では青二才の筆者なんぞが歴史の感慨を語るのは1億年早いってもんだ、なんである。
代表の胸に去来するものはいったい何だったろうか....。

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2015年5月11日月曜日

冠まであともうひとつ

今日はすでに5/10日曜日。焦っているんである。とっても。既にここ数週間の怒濤の大会、試合のブログネタ、写真が山積しちゃって足の踏み場もないほどだ。しかし時間は待ってくれない。どんどん過去と現実のギャップが大きくなっていくのである。
しかもであった。今日帰宅して夜、クライアントからメールが届いた。連休明けから始まる仕事の依頼であった。滋賀県のアウトレットモールの、某スーパーブランドのテナント設計。参ったぞ。

というわけで取り急ぎ、5/3に行われた村山実杯の準決勝なんである。いっそ割愛して決勝戦へワープしちゃうかと思ったけれど、やはりどーにも外せないわけで。しかし、写真はいつものソフトを使わず簡易的な写真ソフトでさっくり行きたい。

この日は筆者にとっても或いは宮前連盟にとっても更にはQueens、いろんな関係者にとって特別。故笠原さんのために急遽筆者からチームLINEへ提案、ご遺族が密葬にしたのに出しゃばった真似をして良いものか逡巡したが、連盟会長Sohmaさんへお伺いを立ててのち決断した。「喪章を付けて試合に臨もう」と。監督が対戦他チームへの根回しをやり、母たちは時間のない中ユニフォームに喪章を縫い込むことを快諾、電光石火のネットワークで実現した。大人も全員喪章を。Kさんがけらけら笑いながら「やめてよ〜テッシー」なんて声が天から聞こえてきたが、かまうもんか。

対する相手はMatsui監督率いる強豪向丘サンダース。ここにはすでにQueensの柱となったAyaがいる。サンダースでも立派な主軸である。きりりとした横顔が眩しい。更にQueens繋がりでOBのIchikaと母、おばあちゃんも応援に駆けつけてくれた。

試合は初回四球で出塁のRuiを3,4番のタイムリーで返し3点先制する理想のパターン。
長距離ヒッターYuiが打席に立つとS軍ベンチは外野をバックさせる。これはすでにお馴染みになった光景だ。Fにとっては光栄なことである。Yuiはそのバックされた守備の更に後ろを目指して打て。
先発マウンドはまだあどけない可愛い顔したKyoh。これがのちに快挙を成し遂げる。

Fは3回に1点加点、途中Ayaがマウンドに登板するも、更にF打線は最終回5回にダメ押しの3点を奪取。反省点は下位打線からでも出塁しトップに繋げるように出来ないと、上部大会に行けば通用しない。時にそれが実現することもあるが、今回はダメだった。

特筆はあの強豪サンダース相手に非力ではあるけれど投手Kyohが四球2個ながらノーヒットノーランを達成したんである。今年のFは強力打線がとかく喧伝(けんでん)されがちだが、今日はキョウを褒めてやりたい。思わず抱きしめてチューしたくなったほどだ。
結果は7:0の5回コールド。

これで決勝進出が決定。
さてこの試合の前のもうひとつの準決勝はあのウルフ....。
富士見台ウルフと再三の決戦になるかと思ったのだが、番狂わせが起きた。
ウルフが負けたんである。あのウルフが。ビハインドで迎えた最終回、筆者は周囲に断言した。「絶対この回逆転勝利するよ、ウルフは」
しかしあにはからんや、なんであった。ウルフは今季初黒星。凄く残念なようなホッとしたような複雑な気分。

Wヘッダー頂上決戦はウルフではなく、これまた強豪南生田ウィングスとの闘いがこのあと待っていたんである。
その決勝ブログはまたいずれなんであった。
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2015年5月5日火曜日

大舞台のちいさな勇者たち

前回ブログをお読みでない読者諸賢は、ここを読む前に下の「激闘の空中戦」を読まれてからこちらを読むことをお勧めしたいと思う、黄金週間終盤を迎えた今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか?毎年GWは半分くらいは仕事で野球に行けないのであるが、今年はうまく休むことが出来てる。しかし仕事は休みでも少年野球とブログには休みはないんであった。

閉会式なんである。今大会では宮前少年野球連盟からもSohma会長を始め大勢の方たちが応援に駆けつけていただいた。ヤングホークスのIshikuraさんの顔も発見。川崎の中でも宮前は、こーゆー熱いオトコたちが少年野球を支えていることに今更ながら思い至るわけであった。

優勝は富士見台ウルフ少年野球クラブ。
準優勝は我が有馬フレンズ。
リベンジを誓うこととは別に、素直に名将Ogasawara監督率いるウルフに敬意を表したい。常勝軍団には常勝するだけの理由があるはずだ。その王者を今までは地に這いつくばって見上げていたのが、今日は同じ雲の上で同列に並んでいる。ヤツらの勇姿を誇りに思う。

最優秀選手賞はウルフOgasawaraくん。5年生ながら今や押しも押されぬウルフのキーマンであり、O監督のお孫さんである。小さい低学年の頃からこのブログでも幾度か紹介してきた。フレンズの普段辛口のYanagisawa代表も絶賛するスーパー小学生である。
敢闘賞はフレンズから一名。決勝1試合に豪快なツーランを2本も放ったYui。オヤジはバスケのコーチとフレンズの事務局を兼任する180cm越えの体育会系、母はスーパーモデル級のスタイルを持つ。その恵まれた体格にミートセンスが加わりYuiは今年に入りますます進化している。ゲーム中自らタイムをかけてマウンドに行くメンタル的にもオトナな面も併せ持つキャッチャーだ。しかし県大会、関東大会レベルになれば彼ほどの打者はゴロゴロいくらでもいる。それを忘れず精進して欲しい。

母たちも手伝ってメダルの授与。ズシリと重い。

今更ながら気がついた。筆者もまだまだ日々勉強である。行進のシーンをさんざん撮ってきたのにこの俺、テイタラクめ。
行進のシーンをカメラを構えたホームベースに最大限近づいた時にシャッターを切るのは間違いなんである。その時は先頭選手たちは足元のラインを踏まないようにどうしても下を向くものだ。すると下の画のようになってしまうのである。なんだか下を向いて暗い画になっちゃうのだった。ホームから5m手前くらいに差し掛かったところで撮ることがベストなんであった。

記念撮影。まずはウルフから。統制が取れて相変わらずピシリとしているではないか。指導が行き届いているし、記念撮影慣れしていると言ってしまえばそれまでだが、相変わらず流石である。


対してフレンズ。こちらはこれでもまだ良くなったほうである。しかしこんなちょっとバランスの悪い個性豊かなナインが私は好きだ。

余談。
今年フレンズ歴9年目を迎えるAkane母。手作りのフェルトで応援ウチワを作った。チーム選手全員分である。こういうオトナたちが子どもらを支えていることにも言及して今日は終わりたい。
このあとの翌日日曜には「村山実杯」の準決・決勝があった。これも感動の試合となったわけだが、まだ書けないでいる。野球ネタが溜まっても現実のスケジュールは待ってはくれないんである。
明日はいよいよ防犯大会である。息つく暇もない怒濤の2015年5月なのだった。
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