2016年5月27日金曜日

小説「月に降る雨」3

「はあ?何?ベーランって」
部長の孝雄は半分興味なさそうな顔をしながらも龍一にたずねた。
「野球で言うベースランニングの略ですよ。野球のダイヤモンドって知ってますよね」
「それくらい知ってるしぃ。ダイヤモンドの4Cはカラット、カラー、カット、クラリティーで、地球上で一番固い鉱石の一つだろ....って、おいおい、冗談、ジョーダン、マイケル・ジョーダンだっつうの。知ってるよ野球のそれ」年に似合わず若者言葉を駆使し、相変わらずさほど面白いとも思えないオヤジギャグを連発する。しかし龍一は孝雄のことは嫌いではなかった。仕事は自分なんか太刀打ちできないほどできる男だったからだ。むしろ上司として尊敬している。人は一長一短ではあるけれど。
「あはは。で、そのダイヤモンドを一塁、二塁、三塁、本塁と一周ランニングする練習があるんですよ。これを何度も反復します。まあ、これは野球の練習の一種の王道と言っても過言ではないくらいのメニューなんです」
「へえ、そうなの。きつそうだな。今の俺がやったら二塁を回ったあたりで即死しちゃうよ」
「スポーツってなんでもそうですけど、何回も何回も同じトレーニングをして、自分の脳みそと体にがっつり記憶を打ち込むんですよ。試合になった時にそれで初めて、0コンマ何秒の瞬間にも、ちまちま何も考えなくても勝手に体が動くわけなんです。天才はそんなこと必要ないんでしょうけど」
「天災は忘れたころにやって来る。天才は忘れること自体ない、ってか」我ながらうまいこと言ったなと、ちょっとドヤ顔をしてみせた孝雄は一瞬腕時計に目を走らせ、続けた。
「ベーランっていわゆるルーティンワークみたいなもんだな。神島。ルーティンって言えば、おまえ先週の日報まだ書いてないだろ。会社戻ったら速攻でメールするように、だな」
午後の始業時間が始まろうとする十二時五十分、孝雄はニヤリとして伝票をつまみ上げ席を立った。

3時からは来月から始まる福岡の物件のプロジェクト会議だった。営業担当も含めてディレクターは孝雄、チーフデザイナーは龍一、その下にデザイナー数名でチームを組むほどの大きな仕事だった。これを遂行しながら個々に抱えている別のクライアントの案件もこなさなければならない。当然外注スタッフも招集することになる。日本でも有数の歓楽街中州で、中古のビル一棟まるごと飲食店に改築するものだった。デザインコンセプト構築の話になった時に、一個の言葉で会議は紛糾した。「上級」と「上質」の違いで論戦がくりひろげられたのだった。若手の月地信介が言った。
「ここは上級でしょ。オーナーは金に糸目をつけないタイプだし派手なデザインを好むはずですよ。上質ってソフトに言うよりは上級とかいっそ最上級のほうがいいと思います」龍一は反論した。
「でもさ、月地。俺たちって派手で華美な奇をてらったデザインをやりたいか。クライアントのニーズに応えるのは俺たち商業デザイナーの宿命だし、そういう意味では月地の言うことは正論だと思うよ。でもそこを敢えて上質の設計で臨んで、結果オーナーにも喜んでもらうのが本当だと思うな、俺は」プレゼンの一個の言葉を巡って三十分もブレーンストーミングする。結局最後は孝雄が「コンセプトは上質の空間で行こう」と決定した。

そんな会議を三時間もしていれば集中力も欠いてくる。早くデスクに戻って明日朝提出の図面を仕上げなきゃいけない。今日もまた終電近くまで残業だなと、龍一はげんなりした。集中力を欠くと人は違うことを考え始めるものだ。会議が二時間を過ぎた頃、会議テーブルの向こう側に座る恭子に目をやった。龍一には彼女との関係性において、過去に苦い経験があった。恭子は大学生の時にインターンデスクでこの会社に来て、そのまま卒業と同時に入社したクチだった。デザイナー志望だったが多くの新人がそうであるように、結局は設計部の事務一切を担う係になった。メンバーが出張の際には航空機を手配したり経費精算などの細々とした仕事もいやがらずこなしていた。入社から一ヶ月後孝雄の一言でだいぶ遅くなった彼女の歓迎会を開いた。その酒席で龍一は頬を赤く染めて自分を見る酔った恭子の目に、先輩後輩の関係以上の、女の目線を感じたのだった。
...............
「4」に続く。
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2016年5月26日木曜日

Queens記念誌Vol.2

小学校4,5年生の頃、創作の作文を書く宿題が出たことがあった。小学生なりに「物語」を書きなさいというものだった。

当時の筆者は図書室で読んだ本と言えば、HONDA創業者、本田宗一郎の伝記(まだ存命なのに伝記と言ってもいいのだろうか。いわゆる人物伝に近いのもだったか)や、怪盗ルパンと名探偵シャーロック・ホームズなどの子供向けの本だった。今でも書店に並んでいるものだ。更に親父が毎月取っていたリーダーズ・ダイジェストをぱらぱらめくり、読めない漢字は飛ばして見ているうちに、ほとんど読めないながらも外国の雰囲気などに接することになった。TVも当時は多くの外国ドラマが放映されており、大人が観るアメリカの白黒映像のドラマに夢中になったものだった。「名犬ラッシー」「ララミー牧場」「コンバット」「逃亡者」...次第にカラーになり「奥様は魔女」「サンダーバード」「スパイ大作戦」「0011ナポレオン・ソロ」「謎の円盤UFO」....。枚挙にいとまがないとはこのこと。この何十倍ものタイトルを今でも列挙出来る。それは地域巡回文庫と国会図書館との差くらいあるんである。もしくはイナバ物置とAmazonの倉庫くらいの差があるのだ。

そんなわけで筆者は多少外国かぶれ、いや外国に憧れる少年だったかもしれない。同年代ならば理解を得られるはずだ。小学生時分に処女作となる物語を書いた内容は、アメリカを舞台にしたもので、主人公が確かジョンというベタな名前の若者と、彼が飼っている犬との冒険譚というか愛情物語みたいなお話だったと記憶するわけで。
それ以来中学高校と小説らしきものは書いたことがなく、もっぱら読むほうに傾注し埋没することになった。この頃の思春期は勉強は試験の2,3日前に徹夜でやった以外は、サッカーのことと友達と遊ぶことと、そして昼も夜も女の子のことで頭がいっぱいだった。(オトコならワカリマスネ?)

その「ジョンと犬の物語」的な小学校作文以来の小説を書いちゃっている、無謀にも。途中で挫折するかもしれないし素人が書く駄文に終始する危険も孕(はら)んでいるのだけれど、とりあえずまだ頭の中のエンジンはガス欠にならず走っているので、「小説3」...と行ってみるかと思うのであった。今日「小説2」の「いいね」的な「ポチクリ」が大量7個に増えていたのでにわかに嬉しくなり、これが走るためのガソリンになるんである。小説を書くモチベーションとなるガソリンの単位はポチクリ。略して「ポチ」。7ポチクリ=7ポチあればとりあえず「小説3」までは走行可能となった。ありがとうなんです。
...................

さてBLOG本分の少年野球、少女野球にここから戻るのだった。
宮前Queens10周年記念誌を誌上公開すると言っておきながら、日常の些事(さじ)にかまけておったら、とんと失念してしまっていた。ゆえに突然再開しちゃうんである。

前回は4月8日のブログで記念誌P6-7の寄稿文で終わった。この次のページは川崎市長福田さんと、宮前区長野本さんからのもの。裏話なのでここでは書けないけれど、普通これだけの公人がいち団体に寄稿文を書くことは凄く困難を伴うんである。局地的私的な団体ではなく宮前区内全域からの女子を集めたQueensだからこそなし得た快挙かもしれない。

川崎市少年野球連盟の(前)会長三浦雅昭さんからの寄稿文。更に読売巨人軍 野球振興部長の鈴木丈介さんから。Queensの存在は故笠原さん抜きでは語られないのだけれど、同時にその黎明期において笠原さんと巨人鈴木さんとの交遊関係もまた、然りなんである。快く引き受けていただいた。整然としてかつ誠意のこもった文章はその人となりを彷彿とするものである。寄稿文を寄せて下さった方々、ありがとうございました。更に交渉窓口となったQのKurashige母にもありがとう。

Qのお母さんたちの協力なくして記念誌は語れないわけで。10年間の「あゆみ」を取材し年号などの数字に間違いがないかどうかまで含めて、大変な努力の結果テキストを送信してもらった。中心となったのはスナ母こと、Kitamatsu母であった。
年代順に文章の要約と写真で当時の集合写真をリンクさせた。編集長(筆者)はこのページのラフエスキースを作るあたりから「OGたちにも喜んでもらえるような記念誌にしよう」と少し方向転換したのであった。

編集会議では発行人であるMurata代表から「宮前少年野球連盟20周年記念誌」と同じく、母体チームのイラストマップを作りたいとの声があった。幸い連盟記念誌でのイラストマップの制作者は筆者であり、所有権はないけれど著作権は保持しているはずだし、Queensは連盟と一心同体的な位置関係でもあったので、文科省特許庁文化庁に精査を請うまでもなく、即決、連盟の時のデータを流用加工することにした。
女子らしくベースをピンクに変えたり、OGたちの所属母体チームの検証、修正決定と細部に至るまで制作には時間が要したけれど、作るのが楽しかったのも事実。例によって個人情報保護の観点から名字はボカシを入れて下の名前だけ明示。Qでは下の名前で選手を呼ぶ伝統があるので尚更である。参考までに連盟記念誌のページも掲載しちゃう。Queensバージョンにするために細かな修正を相当やった。戦国時代風の匂いを消し去り、今風にアレンジ。当時は神木マーキュリーズがあって向ヶ丘キッズはまだなかった。
これを作って気がついたのは、田園都市線を境に北部が圧倒的に多く、下半分の南部はヤングは例外として圧倒的に少ないのである。ヤングがQueens姫輩出の宝庫であることはこれを見れば一目瞭然。またKurosu監督の鼻息が荒くなりそうだ。「ヘンな話、歴代Queensの子をいっぱい出してるのはウチだかんね!」なんてね。我がフレンズからは三期生の「記録よりも記憶に残る選手」だったHaruka以来皆無。毎年自チームの人数存続さえ四苦八苦しているのだから無理もない。
(※連盟記念誌のページ全文は連盟HPからリンクで見ることが出来る。Nishimura鬼編集長の粋な計らいである)

10年の各期のページである。人名、読みがな、各数字、Queensのその年のトピックスに加えて当時の日本のトピックスも加えた。(フレンズ30周年記念誌でも用いたアイディアではある)これはなるべく女子スポーツの話題を中心にするように編集長から激が飛ぶ(?)艱難辛苦、切磋琢磨して精査の上膨大なテキストデータが上がって来た。今期母会代表のImanishi母を中心に作ってもらったものである。微に入り細にわたる検証作業と英断と独断とが交錯し時間を刻んでいくんである。
デザイン的には各ページに必ずQueensイメージカラーの「レッド&ブルー」を帯状に配した。全体に統一感を持たせるために。入稿ギリまで名前と写真と数字の整合性に細心の注意を要したコーナーであった。
(※当初名前が見えるページは掲載しないと宣言したものの、やはり全ページ掲載しないわけにはいかない。そこで子どもには名前公開に留意しボカシを入れた。しかし大人ならまあ良いだろうと安易な判断のもとボカシは入れてない。この場合に限って大人の名をネット上で公開することで犯罪に発展するとは思えないからとの判断もある)
では一気に10年分、今期のページも含めて。



なんとかQueens記念誌掲載ブログも中盤まで終えた。
残すは8,9回の終盤戦。戦いはもう少し続くのであった。いつかまた、この続きを...。
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2016年5月24日火曜日

小説「月に降る雨」2

龍一は高知を出る時親からの仕送りは自ら断り、東京での生活費はこの夜のバイトで自分で稼いでいた。大学を中退した翌日から店長に頼み込み、飲食店の夜だけだったバイトをランチタイムから通しで入ることにした。ほぼ終日池袋でバイトに明け暮れることになる。おかげで収入は増え中退から10ヶ月後の新年には、今まで過ごして来た江古田のアパートを引き払いちょっと広めの中野坂上に転居した。「龍一、大学辞めたんだったら、このままうちに来ないか」店長からは正社員にならないかとの誘いもあった。

ここのバイトで知り合った永山希伊(きい)とは、中退後も何の問題もなく付き合いが続いていた。希伊は東京生まれ東京育ち、関西以西から上京してきた曾祖父の代から東京だったと言うから、「三代続けば江戸っ子」の言葉に従うならばいわゆる生粋の江戸っ子と言っても良い。戦後の闇市で怪しい食材を調理して屋台で提供するうちに人気を博し、その資金を元に様々な物資を米軍から調達し、高値で売りつけた。ちょっとした財を成した実家は、その後商才があったのだろう、有名飲食店を次々と傘下に収めて、今では誰もが知っている全国と海外に700店舗を展開する飲食チェーンを経営する、資本金50億社員数1100名の一部上場企業の創業家だった。本来ならば希伊は大金持ちのお嬢様で何不自由なく暮らせる娘であったはずだが、厳格な母の教育の賜物か、一般女性よりも自分に対してストイックで、一本筋の通った娘に成長した。体の中心に透明の鉄パイプを仕込んだように。容貌はとびきりの美人とはいえないまでも、街ですれ違った女の子に男が一瞬どきりとして振り返るような、言いようのない色気を感じさせる、そんな娘(こ)だった。良家の子女であることは周囲に一切明かさず、普段は明るい性格で男女ともに人望もあり人気者だ。そんな彼女があとからアルバイトで入って、龍一が先輩として接しているうちに恋に落ちるには時間がかからなかった。しかし龍一よりも先に恋心を持ったのは希伊のほうだった。

有名大学の2年生だったとき、親の反対を押し切り実家の豪邸を飛び出しバイトで一人暮らしをする希伊には、誰にも言えない心の闇を抱えていたのだった。希伊の明るい笑顔が好きだった龍一だが、ふとした時に見せる、無防備な横顔に暗い陰りが浮かぶのが以前から気になっていた。付き合い始めて互いのアパートを行き来するようになり、次第に何度もベッドを共にするようになってから、龍一はある晩、希伊が家を出た理由を訊いたことがあったのだが、希伊は生い立ち以外のその理由は頑(かたくな)に話そうとはしなかった。龍一のような平凡に生きて来た若者には想像できないような理由があるのだろうと思った。
「わかった。今は無理に訊こうとは思わない。でもいつか俺に話してくれる時がきたら、ちょっと嬉しいな」

薄明かりの部屋の中でその言葉が受け手を捜して宙に浮かんでいる。狭いベッドに横になった隣の希伊をそっと見ると、彼女は唇を噛み締め、目尻から伝い落ちる一筋の光るものが枕を濡らしていた。視線を感じとった希伊は、傷ついた子猫が何かにすがるような目をするように、ゆっくりと静かに、龍一の胸に抱きついてきたのだった。

....................
少年野球ブログに期待をしてアクセスしてきた方には申し訳なし。
小説なんて苦手だという方にはますます申し訳なし。
前回ブログ「小説1」に下のボタンいいねの「ポチクリ」がたった4個であったにもかかわらず、その4個のクリックに報いるためにも、続きを書いてみた。果たして今回の数はいかに。続編の構想はまだ空白なんであった。
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2016年5月21日土曜日

擦り傷タンコブ泥まみれ

神島龍一はちょっとおやすみ中なんである。中断であって終了ではない。一念発起的、発作的、情緒不安定的、やみくも的、暗中模索的に書き始めてしまった小説なんであったけれど、今とんでもない暴挙に出たことを深く、激しく、真摯に、おごそかに後悔しているんである。ズルズル書きなぐることはいくらでも出来るけれど、小説となるとそうは問屋が卸さないんであった。深い井戸の中で真上のちいさな丸い青空を見上げては、己の跳躍力の限界を嘆くカエルのように、悶々としちゃうのであった。この先どう展開すべきか、神島龍一と相談中なんである。

さて、ふたつの小学校で同時開催の運動会なんであった。今日土曜は終日仕事。昨晩クライアントから電話有り、「Tさん、すみません、土日で仕上げて月曜打合に来てもらえませんか?」なんであった。土日仕事になったとはいえ、フルタイムではない。ならばバイクを駆って、西有馬小と有馬小をほんのちょっと覗きに行くかってもんだ。五月晴れの運動会日和に終日屋根の下で仕事することほど、精神衛生上よろしくないものはない。太陽を浴びてココロの光合成を欲している筆者なんであった。体内に葉緑素が充満し、結果妖怪人間ベムのように緑色になったら本望である。

西有馬小。グランドが小さい割に人口密度が高い。筆者の息子の時とは比較にならないくらいのカメラとビデオの放列。薬物所持使用で逮捕起訴された元プロ野球選手が、拘留中の警察署から出てくる時のマスコミのカメラの群れと遜色ないんであった。

西有馬小にはフレンズの紅一点Anjuがいる。西有馬運動会に入るには校門で名前を書きネームプレートを受け取らねばならない。有馬中になればカメラチェックまでありもっと厳しいのだ。子どもの保護者でもなければ親類縁者でもなくなった身にとっては、中学のあのカメラチェックは何か、人を犯罪者と見なしているみたいで、気分の良いものではない。以前フレンズのOBを撮ってやろうと入場票に書き込む際、子どもとの関係は?という欄があって「生徒のかつて所属していた少年野球チームのコーチです」と書いたことがあったが、翌年は超面倒くさくなり、「○年神谷Hirotoの親戚」と書いて入場したこともある。今年はQueensOB、HimariやMisakiなども最後の3年生でもあり行こうと思ったけれど、この気分が嫌なのと仕事もからんで行かなかった。でも時代の流れには逆らえないわけで。

入るとちょうど3年Anjuの演目だった。3年生の中でも頭ひとつ抜けている。監督Itohの姉Megumi母も撮ってみた。ニッコニコであった。

ビギンの「海人の〜」に合わせて演技する。ほっほう、なかなかリズム感が良いとみた。バッティングもこのリズムでミートしてくれたら申し分ないのだが(^-^)


ぶんぶん、ぶるるる、ぶろろろろ〜。
バイクで今度は有馬小へ。
こちらは西有馬小に比べれば至って牧歌的だ。グランドの広さに比して人口密度は低い。フレンズ親たちに「うぃっす」と挨拶してカメラを構えていると、早速Shohの演目。

野球少年がひとたびユニフォームを脱ぐと、遠目には全くわからない。(筆者目が悪いせいもある)どーしたものだろう。ユニフォームを着ていたら遠目にも誰か分かるのに。不思議なもんである。
騎馬戦であった。何事にも「安全第一」的な世の趨勢。危険回避に重点を置いたルール。ピッカピカの真っ白なままの体操着で運動会を終えることが面白いか。筆者が親だったならば、息子がそんな姿で帰ってくるよりも、短パンを真っ黒にして、擦り傷やたんこぶのひとつでもこさえて来たほうが、よほど嬉しいぞ。ただ、教育委員会やモンスターペアレンツどもにがんじがらめになっている、教師側の忸怩たる思いも理解出来るわけで。

団体戦と個人戦なんであった。フレンズエースShohmaが最後に投じたボールは、相手打者を三振に切ってとり、審判のジャッジもストライクなんである。その一連のノンフィクション。

Kunjiや主将Kaitoも騎馬戦に挑む。

最後は運動会、体育祭の「華」であるリレー。毎年フレンズでは今年はリレーに何人選ばれた?ということが話題になる。


またバイクにまたがり、粛々と仕事に戻るワタクシなんであった。
神島龍一との対話をし、今日は小説は書かないことにした。
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2016年5月19日木曜日

小説「月に降る雨」1

「今日は何にするかなあ。AランBランもなんだかなあ、飽きちゃったしな」
メニューを見ながら、そうひとりごちたのは神島龍一の上司、鈴木部長だった。Aランとはその店の肉をメインとした「Aランチ定食」のことで、この他にも肉を魚に変えたBランチ、ついでに言えばCランチはカレーかパスタどちらかを選べるものまである。もちろんこの定食の他にもアラカルトでかなりの数のメニューが用意されている。
「定食は飽きたけど定食以外のヤツは高けえしな。なんだかなあ」
なんだかなあは、鈴木の口癖だ。以前会社の仲間と部長と数人でこのレストランに来た時も鈴木は言った。
「Aラン、Bラン、Cラン今日はどれにしよっかな。はあ、なんだかなあ」
龍一は思った。孝雄さんはいつもなんだかなあを連発する人だな。

龍一の会社は社員数80名ほどの業界では中堅どころの内装建築会社なのだが、社長の鈴木浩二始め役員の鈴木誠、総務の鈴木八重子、設計部の鈴木恭子、そして同じ設計部部長の鈴木孝雄、この他にも他部署に4人ほどいる。その昔渋谷のスクランブルで石を投げればかなりの確率でデザイナー志望の若者に当たると揶揄されたものだが、龍一の会社の「鈴木」の人口密度はちょっと異常なのだ。鈴木以外にも斉藤姓は4名、山本は3名。役員の鈴木誠のコネクションで入った工事部3課の鈴木卓也に至っては、忘年会の帰りに酔った勢いで社内のマドンナと言われた沖縄出身24歳の具志堅祥子とねんごろになり、半年の交際を経て結婚するまでに至ったせいで、希少価値の具志堅が消滅しただでさえ多すぎる鈴木が増殖することになった。そんな訳で比較的アットホームな龍一の会社では、鈴木さんと呼べば数人が返事をしてしまう環境の中、いつの間にか姓ではなく下の名前で呼ぶのが慣例となったのである。部下が上司に対して「孝雄さん」と呼んでも全く不自然ではない社風なのだ。

「孝雄さんはいっつもなんだかなあを言いますね」
一瞬怒ったような怪訝そうな色を顔に浮かべた孝雄だったが
「あっ、そう言われればそうかあ。参ったなあ」と右手で後頭部をかく仕草をしてみせるところが、いかにも憎めない昭和オヤジなのだ。
「Aラン、Bラン、Cランか。僕高知で高校まで野球をやっていたんですけど、Bランって言うとなんかベーランを思い出すんですよ」
「はあ?何?ベーランって」
ますます怪訝そうな表情で言葉を返す孝雄だった。


龍一は小中高と野球に没頭し、高知の野球でそこそこ名の売れた公立高校を卒業後、東京の中堅的な私大へ進学したものの2年の終わりに退学を決意、いわゆる大学中退組だった。サークルに入り野球は続け、夜は池袋の飲食店でバイトし、そこで知り合った女の子とつき合うようになったどこにでもいる凡庸な青年だったのだが、ある晩、郷里にいる祖父から受け継いだ果物店を細々と営む年老いた親の学費の負担を思った時、突然雷に打たれたように中退を決意した。事後報告で高知に電話で伝えたとき、父の博之に開口一番ばかやろうと怒鳴られた。しかし手短にその動機を話すと博之は電話口で絶句し無言の空気が双方の受話器の間を流れた。龍一は父のその無言によって初めて、父に恥をかかせてしまったことに気がついたのだった。本当の理由を言うことが必ずしも相手を喜ばすことにはならないと若くして龍一は悟り、ひとこと「ごめん」と言葉を伝え静かに受話器を置いた。

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小説1なんであった。名前はまだない。
昨日ファミレスで昼食を摂った時に思い立ち、突然発作的に小説の出だしだけを書いてみた。筆者個人とは全く別の創造の話であり、続編が書けるかどうかは保証の限りではない。小説のタイトルもプロットも構成も人物造形も最後のオチも何も考えずに書き出したもの。数年前にここで発作的に「サンドストーム...」とかなんとかの小説を冒頭だけ書いて、その後梨の礫(つぶて)でそのまま放置した前科があるので、今回も先は全くの不透明。
少しでも反響があれば、続きを書いてみようかと思うけれど、それこそトンネルの先は真っ暗で不透明なんである。
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2016年5月17日火曜日

厚意の行為は好意か?

大事な防犯大会2回戦なんであった。ここを突破していざ上を目指せるかどうか、いわば今のフレンズの実力が試される一戦であった、と筆者は思っていた。
しかしその前に、サンダースVSバーズの熱戦が目の前で繰り広げられていたんである。戦場カメラマンとしての血が騒ぎ、彷徨徘徊しちゃうんであった。
サンダースエースはあのGジュニアに選出されたSoraくんの弟、5年生Yamadaくんなんであった。手元でぎゅんぎゅん伸びる速球は秀逸だ。

Bの主将Yazawaくんの本塁スライディングのシーン。滑り込むと同時にセーフのアピール。一点をもぎ取るための闘志の表れであろう。ジャッジはセーフであった。

審判で言えばこちらも負けてはいない。フレンズ今年の事務局長になったToyodaオヤジ、通称トヨケン。母マネージャーの愛妻Tomoちゃんと共に、陰に日向に八面六臂の活躍を見せる。今日は一塁塁審なんであった。いつもはひょうきんにおどけてみせる彼も、こんな時は鋭い眼光で責務を全うしていた。

バーズと言えばKentaくん。相棒ピッチャーくんも苦しい試合を力投する。

サンダースには先日筆者の写真を撮っていただいたSonobeさんがいる。筆者と同じく宮前連盟の帽子を保持しているTakahashiさんと共に、サンダースの戦場カメラマンとして銃弾と砲火をくぐり抜けてきた、いわば少年野球カメラマンの同胞のようなもの。今度中東へ潜入取材の際は連絡を取っておこうか。筆者もあんなドデカイ望遠レンズが欲しいものである。早速LINEでスコアラーTsudaさんに送った。
サンダースと言うより、連盟重鎮MatsuiさんやHonmaさんはこの日は連盟として職責を全う、円滑な試合運営に腐心していた。


結果はサンダースの貫禄勝ち。「サンダースは選手一人一人が野球を実によく知っている」という話を試合後、バーズKawataさんと話した。Queensオヤジ兼バーズ28番Yoshikawaさんは試合途中からBチームへ合流のため戦線離脱。
..................
やっと第2戦目フレンズVSワイルダース戦なんである。しかし、筆者は前半のみスコアラーをやったので写真は後半のほんの少ししか撮ってない。


試合終盤までFが僅差でリード。このままイケルかと思ったのだが、安打数に勝るWが最終回4点を返し大逆転。


見方はいろいろだけれど、「勝てる試合を落とした」時ほど悔しいことはない。

最終回、筆者はカメラを構えてセンター後方にいた。このアングルから撮る理由は親御さんたちが普段我が子を撮る写真にはない新鮮な角度であるからで、それがブログに載ったとき「うちの子、打つ瞬間こんな表情をしてるんだ!」なんて思ってもらえたら嬉しいという気持ちがあるからなんである。また思いがけずに良い写真を撮るチャンスにもなるからでもある。逆にバックネットの真後ろから撮るのは公式戦では絶対御法度。それどころか、ネット裏に当事者チームの帽子をかぶった者がいること自体ダメなんである。他のチームの試合や、練習試合ならばまだ良しであろうか。かく言う筆者も良かれと思って今まで他のチームの試合を、ネット裏から連盟広報として撮ったことは何度かあるが、少し戒めたほうが良いのかもしれない。ネットの真裏を避けてネットの両端からならばOKなんであるが。昨年全国大会の神宮球場で本塁真裏の記者席から撮った、グランド地面すれすれに撮った写真のダイナミズムは実際素晴らしかった。

センター後方からシャッターを切った瞬間、審判がこっちを指差して大声でナニか叫んでいる。よく聞き取れなかったが「....そこのカメラああ〜....」
瞬時に理解した。俺、またやっちまったか?県大会や全国大会ではセンター後方からの撮影は絶対無理なのは知っている。昨年何度か痛い思いをしてるし。第一公園ではおとなしく外野からのショットは木陰に身を潜めて撮影するんであるが(これは連盟からOKをもらっている)、各小学校グランドでは身を隠す場所がないのがほとんどだ。大師球場でもOKだった。(本当はNGなのに単に注意されないだけかな?)前の試合でもセンター後方での撮影は審判から何も言われなかった。

しかし、この試合で言われてしまったのは「審判によって裁定が違う」ことの表れであろうか。いわゆる「俺がルールブックだ!」審判によって低めをストライクに取る人とそうでない人と様々である。人間なのだしそれが個々の個性なのだからそれはそれで良いと思う。(審判によって極端に相違があるのは論外であるが)それぞれの個性によって「センター後方からの撮影は少年野球と言えどもダメなものはダメ」と厳格に規制することは間違いではないであろう。正論は正論、過去現在未来いつでも正論は正論であり続ける。
おそらくその禁止の理由は高校野球やプロなどに於ける「キャッチャーのサインを盗むような卑劣な行為の禁止」もさることながら、少年野球に於いては「バッターの子がカメラを気にして幻惑されるから」的なことなのだろうか。それならば筆者の負けである。確かにそれなら納得しちゃう。今後このアングルから撮る場合は、センター後方の更に奥の目立たない場所を確保出来た場合にのみ決行しようか。練習試合なら許されるだろうか。
「厚意を持った行為は必ずしも好意として受け止められない」のである。
とかくこの世は住みにくい。

一瞬公平性に釈然としない気持ちを抱えながらも、学習仕切れていない自分に対しての自責の念と反省の気持ちを抱えベンチへ帰ろうとした時、試合は負けの瞬間を迎えたのだった。この試合に勝てなかったフレンズにも釈然としないどんよりとしたブルーな思いを胸に。

......
さてここからは気分を変えて有馬ドームへ戻り練習。
中学OB連中が来襲。賑やかにいろいろ練習を手伝ってくれる。彼らを見て今更ながら気がついた。幼い頃に比べて中学になると、頭の大きさはさほど変わらないのに、体がぎゅんと大きくなったために、オトナになったなあと感じることなんである。小学生時分は頭でっかちの4頭身だったのが、首から下が成長して6頭身から8頭身になったりしちゃうのだった。イラストを描く時に子どもとオトナを描き分けるには子どもは頭を大きめにすれば、一発で子どもっぽくなっちゃうのであることは漫画界の常識だ。TakutoにしてもHiroにしてもオトナっぽくなったと感じるのは、首から下の体が大きく成長したからなんであった。

グランドの片隅ではバレーボールでパスラリーを楽しむ母たちの姿が。
ここ10年ほどであろうか、フレンズ母の何人かはママさんバレーチームに所属して、フレンズ以外での日夜、バレーに没頭しているんである。その人数たるやもはや「有馬フレンズママさんバレーボール部」と言っても過言ではないくらいに盛り上がっているのだ。
以前NonちゃんがフレンズLINEに皆の会話の流れで「Tさん今度、アタシたちのバレーボールも取材にきて写真撮って下さいな」とコメントがあった。

もしそーなったら、この少年野球「晴耕雨読」BLOGのサブタイトルは「少女野球Queensと、川崎及び宮前区の少年野球と、有馬フレンズと及びママさんバレーを応援し、時に個人的由無し言をほざいたりもする、うんざりするほどの写真と長ったらしい文章のオモシロマジメ的雑文集的ブログ」と、改題せねばならないかもしれない。


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