2016年6月9日木曜日

Queens記念誌Vol.3(LAST)

少年野球ブログネタがない時、かつ、仕事もさほど忙しくない時、かつ、TVなどにも興味のない時、かつ、TSUTAYAで借りた映画を返却し次のDVDが来るのをジリジリしながら待っている時、かつ、フレンズなどのやるべき仕事もない時、かつ、飲みのお誘いもない時、かつ、深夜のアメトーーーークがない木曜日じゃない時、かつ、かつ、かつ...。気がつくと小説を考えてしまっているんであった。書きながらぼんやりとラストが見えてきたものの、そこに至るまでの展開が長くなっちゃうんであった。後先考えずに書き始めたもので、全く暴挙としか言いようがない。筆者の実体験に基づいた話か?というお便り(LINE)をいただいたので少し言い訳をしておきたい。飽くまで「小説」なんである。確かに部分的には実体験を基本としてはいるものの、それは全体の百万分の一くらいにしかすぎない(と、しておこう)。しかも更に事実を脚色して膨らましている。経験したことをそのまま書いたんではあまりにもこっ恥ずかしいではないか。誤解を恐れずに言えば又吉直樹の「火花」のように自分の体験をもとにして描くという、初めて書く処女作にありがちなものとも言えるわけで。
(※前回小説4-Bでは「見る前に跳べ」を石川達三と勘違いしており、あわてて大江健三郎に訂正する一文を挿入。まったくもっていい加減である。プロならばこういうところは編集者がチェックを入れてくれるはずだが、筆者はド素人なんであった)

前回までの登場人物のモデルは架空である。(と、しておこう)。昔の仕事仲間が数人モデルになっていることはあるけれど。しかし次回かその次の回には、このブログを読んでいる宮前少年野球関係者ならばその半数は「これ○○のあの人だ」とあからさまに分かってしまうほどのモデルが三人登場することになるはずだ。本人たちには了解はもらっていない。
そもそも書いている途中でこんなネタばらしをすること自体が恥の上塗りと言える。「興ざめの極み」であることは間違いない。ちなみに「チョウザメの珍味」はキャビアであることも間違いない。
...............

さて今回は久々に「宮前Queens10周年記念誌」誌上公開ブログなんである。これまで2/3を公開してきた。いよいよラストの回なんである。
P26から。編集会議では発行人でもあるQ代表Murataさんから筆者に、連盟記念誌同様に「ポエム」のページを是非にと言われたんであった。一度軽くやんわりと拒否したんである。ちょっと考えさせて下さいなと。もう自信がなかったんである。何度目かの会議でもう一度確認を取るとやはり結果は同じだった。腹を決めて書いたポエムなんであった。
バックの写真は第四公園の点景を撮った時に偶然写っていた鳥がいたもの。これを見て「大きく羽ばたけ」がキーワードになった。


過去10年間のアルバム的なページ。本当はもっと載せたかったのだけれど、予算もあることだし何ページも幅を利かせることは出来ない。限定3ページにしたのだったが、そこに詰め込んでしまった。集めてもらった人の労に報いるためにもたくさん掲載したいのだが、写真の選択は心を鬼にしないとダメなんである。それでも多すぎて一枚あたりのサイズが小さくなってしまった感があった。四捨五入、取捨選択、二者択一、断捨離を断行して選んだものだった。
故笠原さんと審判の吉川さん。おめでたい記念誌に故人を偲ぶページはどうかと思ったけれど、編集会議では全員が賛同した。笠原氏を語らずしてQueensを語るなかれ、なんである。またそれに準じればこの二人なくして今のQueensはない。最後に思い至って小さくではあるけれどMurata代表とKoshimizu監督を挿入。もちろんSohma会長のものも前ページに載せた。

過去のQにまつわるユニフォームやTシャツ、バッグ、タオルなどの写真。
数年前からKoshimizuさんが提唱していたことがある。10周年になったらユニフォームを一新しようと。その念願叶って新しいQ姫たちの戦闘服が出来た。これには監督と母Kitamatsuさんが並々ならぬ努力をもってして、作成会社に何度も修正依頼し製作にこぎつけたのであった。
右ページは「特別なアリガトウ」なんである。これは6年生を送る会で撮ったもの。

編集後記。記念誌に携わった全ての人に感謝と、制作にあたっての紆余曲折を言葉にしようとすると当たり前の文言しか浮かばない。筆者なりに作文した。この短い文を書くのに、このブログ10回分くらいの労力と時間を費やした。
みんなのチカラでやっと記念誌が出来た。決して私一人のものではない。むしろそうならないように、ページ全てにおいて合議制をとり、いろんな意見を取り入れて総合的に作り上げたものである。直接、間接問わず関わった人にこの場を借りて改めて感謝申し上げます。たった一枚の写真を提供してくださった方なども含めて。
因に広告ページの東京新聞さんは広告掲載の話をTeshigawaraさんに申し出たところ、即大快諾をいただき、更にこの記念誌のためにオリジナルの新規の広告まで作っていただいた。(写真はQのOB、Reona)また大会スポンサーとしてもいつもお世話になっているJAさんにも感謝申し上げたい。

最後は裏表紙。専門用語では「表4」という。
人物の顔は避けて少女野球を取り巻く環境を表現。このへんも少しフレンズ30周年記念誌の空気感を踏襲しちゃった感は否めないが良しとしたい。

フレンズは今36年、連盟は25年、Queensは10年。それぞれの40周年、30周年、20周年の時には筆者はまだ少年野球に携わっているのだろうか?

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2016年6月7日火曜日

小説「月に降る雨」4-B

「本日はお疲れさまでした。面接の結果は後日電話か書面にて郵送しますので、よろしくお願い致します」
たぶん、今日もだめだな。ため息をつきながら自分の足首が鎖につながれたような錯覚を覚えながら、午前中休みをもらったバイト先へ向かうために、山手線に乗り込み池袋へ向かった。何社もの会社を受けたが「大学中退か」と、それだけで不合格だと履歴書を見た面接担当の顔に書いてあった。
「リュウはさ、いったい何がしたいの?会社に入ってどんな仕事がしたいの?ただ漫然と会社に入りたいってだけで面接に行ってない?小学生の卒業文集とかでさ、将来なりたいものって何か書かなかった?」
そう言えば昔から絵を描くのが好きだった。
「書いたよ。画家か漫画家かデザイナーになりたいって。同級生で野球やってた子は判で押したようにみんなプロ野球選手って書いてたなあ」
「画家はあり得ないな。それはわたしが保証する。漫画家は下積みが長いって言うじゃん。だったら...」
「だったらデザイナーか。昔デザイナーって言えばファッションかグラフィックが相場だったけど、俺はそういうんじゃなくって、なんかこう、白紙に描いた絵が現実に立ち上がることが面白いっていうか、自分の空想が実現するのが楽しそうだったから」
事実野球が終わった高校三年の夏休み、龍一は高知県のいくつもの有名な寺社仏閣を訪ねては、この建築を造るのには、当時の棟梁はどんなことを思い、どんな絵を描いていたのだろうとすごく興味を持ったものだった。龍一の心の底にちいさな光が見えた。
「そう言うきいはなんて作文に書いたんだよ。まあ、身長がないからファッションモデルはあり得ないな。それは俺が保証する」

龍一は専門の教育を受けたわけではないのに、思い切って恵比寿にある商業施設の内装工事会社の設計部門に応募した。面接はもう慣れたもので緊張感もだいぶ薄らいできた。龍一よりもひと回り年上であろう面接官が訊ねた。
「神島さん。履歴書に大学中退とありますが、それはどんな理由だったんですか」
またこれか、と一瞬思った。しかし中退の理由まで真摯に訊いてきた会社は初めてだった。龍一は全て正直に答えた。
「デザイン設計の経験は」
「ございません。やはり専門の学校や大学の学科を出てないと厳しいでしょうか」
少しくだけた雰囲気になった面接官はにっこり微笑むと
「習うより慣れろだ。きみはずっと野球をやってたと書いてあるけど、何度も繰り返しやることで自然と躯と頭が学習してくれるものだよ。野球も同じじゃないかい。人並みじゃだめだけど、人並みはずれた意欲さえあれば、この会社でいくらでも成長出来るよ。」
思い出したように面接官は続けた。
「英語を最も早く確実に身につける方法を神島さんは知ってるかい」
「英会話教室に通って...」
「うん、通って、それから?」
「通うだけじゃだめで、いっそのこと教室にテントを持ち込んでそこに居座るとか」
「あはは、面白いなきみは。それも悪くないが、一番手っ取り早いのは、英語圏の国に行って現地の女の子と同棲しちゃうのが良い。あっと言う間に英語をマスター出来るよ。あわよくば相手の女の子が美人だったら尚良しだ」
習うより慣れろ。谷底を見る前に崖の向こうへ飛んでみろ。昔読んだ石川達三の本に確か「見る前に跳べ」というのがあったな。ん、大江健三郎だったかな。
「ちなみに私もデザインの専門学校を一年で中退したクチだよ」
龍一はこの会話で胸が熱くなり、希伊に誘導尋問され高校時代に寺めぐりをした時のことも熱く語った。自己アピールが苦手な龍一にしては珍しいことだった。
「今日はお疲れさま。結果は後日電話でお知らせします。よろしくお願いします」
面接官は続けた。
「面接で自分の名刺を出すことはほとんどないんだけど」と言って一枚の名刺を渡してくれた。
龍一がもらった名刺には『株式会社T&D 設計部課長 鈴木孝雄』と書いてあった。
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2016年6月6日月曜日

「友だち」と「仲間」

このところフレンズは5,6年と4年以下が別行動の週末が多い。そーなんである。低学年大会にフレンズは馬絹メイツとタッグを組んで参加することになったんである。お互いに低学年は少人数同士、近隣メイツさんからお声をかけていただき、実現の運びとなった。今年の大会では全15チーム中、唯一連合チームなんである。でもって、本日午後は有馬小でグランドを持っているフレンズがメイツ4年生以下と練習、反対に第一公園を持っているメイツさんがフレンズ5,6年を迎えて合同練習となったんであった。(※以下時々相手チームに敬称「○○さん」は文脈からして省略することあり)
筆者思った。フレンズを直訳すれば「友だち」、メイツのそれは「仲間」。ベストフレンドやクラスメイトなんて言うではないか。ちなみに「スクールメイツ」には二つの意味がある。ひとつは「学校の仲間」、もうひとつは「テニスウェアを着てポンポンを持ちアイドルの後ろでパタパタ踊りまくる女子バックダンサーの団体の名称」更にこの地域、宮前の大昔は馬の産地か牧場があったとかで、馬にちなんだ地名があるんである。有馬フレンズと馬絹メイツ。

とりあえず5,6年の第一公園ドームへ、ぶんぶん、ぶるぶる、ぶろろろろ〜。


着くなりKimura監督としばし談笑。Kimuraさんは青森の出身でこちらへ転勤になって、息子さんがメイツにお世話になって以来、10年ほどBとAの監督業を受けているのだそうだ。筆者も東北の産で山形を出て約40年ではあるけれど、Kimuraさんは全く訛りを感じさせず、むしろ南方系の方かと思っていた。今年主将になったのは息子さんだった。

和気あいあいの中互いのチーム同士での会話。フリーバッティングでMの5年生の子が素晴らしい打撃を披露していた。Fの監督Itohが「ウチにもらっちゃおうかな」と言えばすかさずKimuraさんが「じゃあ、うちはフレンズのShohmaもらおっと」

厳しい叱咤の言葉を大声で発しながらシートノック。しかしその心の内側から少年野球に対する子どもたちへの愛情がにじみ出る指導と筆者は感じた。子どもたちからの信頼も厚そうだ。あっと言う間にFの子らの名前も覚えて「セカンドKunji!カバー走れっ!」何度か繰り返してやっと出来た。「いいぞKunji、やれば出来るじゃん」叱って褒める。人心掌握術に長(た)けた人なんだろう。

普段の公式戦ではバックネット裏からの撮影は御法度である。「そうだ!京都へ行こう」ではなく、そーだ、ネット裏から撮ってみちゃおう、なんである。この写真紅白戦のKimuraくんのマウンドを撮ったもの。周囲にあるドーム状の黒い陰はなんでしょうか?10秒以内に答えよ。来年の東大入試に出る問題かもしれない。

はい、時間切れ。
正解はアンパイヤの黒いジャージの脚なんである。バックネットの地面すれすれにカメラを置き超ローアングルで撮影。

昨年のメイツの名選手、OBのRyohtaくんが来た。今は都筑ボーイズに通っている。一段と背が伸びたように思うし、すっかり中学生らしくなった。特に長い脚の太ももあたりがアスリートっぽくなって頼もしく見える。彼に限らず小学生からいきなり硬球のシニアやボーイズに行けば辛いことや挫折しそうになることもあると思うけれど、宮前のOB諸君、頑張って欲しいものだ。Kimura監督の粋なはからいで代打の切り札で打席に。ちょっと気負ったかな。昨年ブログで紹介したけれど、母は関東キー局の女子アナ顔負けの美人さんである。

..........
さてさて、50馬力の愛馬を駆って有馬小ドームへ、ぶんぶん、ぶるぶる、ぶろろろろ〜。
こちらでは低学年大会に向けて4年以下の練習風景。
こっちもフレンズOB、ShohgoとHajimeが手伝いに来ていた。

ライトの守備。Fの1年生Haruがメイツの子に。「もっと腰を落とせよ」

Mのライトくん「おい、何すんだよっ」
Haruは知らんぷり。

にらみあう二人。一触即発?...かどうだったかは筆者は知らない。遠くて会話は聞こえないからだ。
これもまた小さい子同士の良い経験だろう。二人はこのあとも普通におしゃべりしまくっていた(^-^)

連合チーム「フレンズメイツ」としての監督はFのKakenoくん。フレンズ伝説のOBである。29番はメイツの....。大会冊子を解読してみたが漢字が読めない。月曜19時フジテレビのネプリーグの漢字問題では、ほぼ最終関門までイケル筆者なんであるが、最後で沈没する。筆者でもこれは観念せざるを得ない。近くにいたおしゃれなメイツ美人母軍団の一人に訊いてみたら、偶然29番コーチ氏の奥さんだった。「私の夫です。これTsuzuranukiって読みます」と。ここでは特別な場合を除き漢字で実名記名は避ける方針なので、書けないのが残念だ。はて寺社仏閣の建築用語のようでもあるし、由緒正しい公家の末裔のような名前の響きもあるし。珍しい人名に接すると興味が湧いてしょうがない筆者。「つづら折り(織り?)」の「つづら」かと思ってネットで調べたら当たらずとも遠からずであった。
何やら若い監督コーチたちで戦略会議か。


最後に昔はメイツの監督をずっとやっていらしたSuzukiさんに声をかけて話してみた。メイツの栄枯盛衰を見てこられた方だ。訊いてみたらメイツ歴は26年。筆者がF歴20年だから大先輩である。FのKakenoくんの現役時代も知っていた。Fの代表Yanagisawaさんがほぼ36年、他にも宮前では未だに少年野球に携わっている指導者のお歴々がいる。実にありがたいことである。
かつては鮮やかなメイツブルーであったであろう帽子を見れば、それは100年続くうなぎのタレを連錦と守り続けている老舗のような、いぶし銀の輝きすら放っていた。年下で初対面の筆者にも腰が低く丁寧な応対をしていただいたんであった。

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2016年6月2日木曜日

返還と奪取

本日、前監督Satohくんから吉報が届いた。フレンズLINEにアップされた文言はこうだった。

『昨年の有馬フレンズの活躍に伴いまして、[平成27年度川崎市スポーツ協会・奨励チーム]として表彰されることになりました。

川崎市のスポーツ協会表彰規定に基づき決定致しました。』

つまりは昨年の偉業に対して表彰してもらえるとのこと。我がチームながら、改めて昨年のフレンズに感謝なんである。

更にこれは昨年から巷間(こうかん)まことしやかに囁かれたことではあるけれど、今年は数々の返還行脚(あんぎゃ)が待っているんであった。
東有馬のNakamura副事務の会社に保管されている、昨年のトロフィーや楯を愛おしく抱える、NakamuraオヤジとToyodaオヤジ。

これをいつかまたフレンズが奪取したいものだ。
もしそれが叶わぬものならば、せめて宮前勢に持ち帰ってもらいたい。
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2016年6月1日水曜日

小説「月に降る雨」4-A

龍一が中野坂上のアパートに越したのをきっかけに、まるで吸い寄せられるように希伊はここで同棲することになった。ある日曜日の午後突然引っ越し業者がやって来て、決して多くはない荷物を部屋に運び込むのを唖然と見ていると、ほどなくしてショートカットの髪を汗で額に張り付かせた希伊がにっこり笑いながら言った。
「来ちゃったよ」
龍一はびっくりしながらも、この瞬間を楽しんでいる自分を発見した。可愛い猫が背後の高い棚から突然肩に飛び降りてきたように。そっか、今日から希伊と一緒に暮らすんだ。悪くない。
「それにしてもいきなりすぎじゃんよ。前もって連絡くれればいいのに」
「ほう、前もって連絡してたらどうしてた、リュウ?公衆電話代がもったいないじゃん」下から上目遣いで見上げる希伊のいたずらっぽい目に若干うろたえながら
「前もって連絡くれてたら....んまあ、変わんないか」と言って希伊を見ると、彼女はすでに業者へ向かって勝手知ったる狭い部屋に、あれを置いてこれを運んでと指示を飛ばしていた。「聞いてねえのかよ」
そんなある五月の晴れた日曜から二人の同棲は始まったのだった。

いろんなところへ行った。場所はどうでも良かった。近くの公園だったり遊園地だったり神宮での野球観戦だったり。時には金沢へ二泊三日の遠征に出かけたりもした。また時には部屋を一歩も出ず、一日中裸で抱き合ったり。二人の心と躯の距離は以前にもまして縮まり、熱したフライパンにバターをふた切れ落としたように、熱く解け合うような濃密なな一年間が過ぎた。ときどき激しく口喧嘩をしたこともあったが、互いに心が離れることは決してなく、このままずっとこの暮らしを続けたいと思うようになった。
その間、龍一も希伊もバイトを懸命に続けた。すでに店では二人の仲を知らぬ者はいなかった。皆に愛され祝福されていた。店長に至っては、きみたち結婚するときは俺に仲人やらせろよ、と強要するくらいに。「俺が今独身でカミさんと出会ってなくて子ども四人もいなかったなら、絶対きいちゃんにプロポーズしてるんだがな」と、九十キロの体躯をわっさわさ揺らして言った。破顔一笑龍一は希伊を振り返った。
「希伊、どうする?」にこにこしながら希伊が返す。
「店長。お言葉は嬉しいんですが、絶対無理っす」
「おいおい絶対はねえだろう、絶対は」
バイト仲間同士でも池袋の店が終わったあと新宿歌舞伎町まで行き、何度か朝まで飲んだこともある。「自分もいつかリュウさんときいさんみたいなカップルになりたいっす」と、今年専門学校二年生のバイト後輩に言われたこともあった。
「ダメダメ。おまえはちゃんと学校出て、ちゃんと就職してちゃんとした社会人になってから。俺みたいなバイトの不安定な立ち位置じゃあ、結婚なんて無理だぜ」
「いやいや、結婚なんて言ってないっすよ。彼女を作るならきいさんみたいな人がいいかなあって」
そうか、俺、結婚のことまで希伊とのことを考えているのだなと、はからずも思い知らされた龍一だった。今までも考えなかったわけではない。しかし、バイトの身ではどこかの会社の社員になって安定した生活を保証されている者に比べたら、まだまだ無理だと思っていた。その時ふと龍一は思った。『まだまだ...?』まだって、じゃあいつまで?龍一の胸の奥にぽっと熱い炎が灯った。希伊との今の暮らしのことばかりしか頭になくて、今日よりも明日のことに思いが至らなかった自分を恥じた。
「神島さん、何難しい顔してんすか。希伊さん、俺、なんか怒らせちゃったかな」
希伊はビールのお代わりを店員に頼んでから
「気にしない気にしない。リュウがこういう時って、なんか別のことに頭が飛んでる証拠なのよ」
後輩と希伊のその会話すら聞こえていない龍一だった。

翌日曜にコンビニへ行き履歴書を買った。消費税が3%から5%に上がっていた。その足で丸ノ内線で新宿まで出向き履歴書用の写真も撮ってきた。新宿西口は立錐(りっすい)の余地もないほど超高層ビルが林立していた。ビルの隙間から見上げる四角い空は、都会にしては珍しいほどの雲ひとつない紺碧だった。この年の十一月にサッカー日本代表がアジア最終予選で、悲願のワールドカップ・フランス大会初出場を決めることになる。
そんな1997年だった。

.....................

今日やっと分かったんである、ポチクリが少ない理由が。PCならば記事の下に「いいね」的なボタンがあるのだけれど。最近はスマホで見る人が圧倒的に多い。スマホではこのボタンが表示されないんであった。画面最下部の「ウェブバージョンに切り替える」にすれば、PCで見るのと同じ画面に変わる。そこの下にひっそりとポチクリボタンがあるのだが...。

次回は「小説4ーB」
こういう余計なあとがきは無しで掲載しちゃう。
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