2016年11月6日日曜日

新人戦開幕とQueens女子募集


新人戦開幕の季節となったんであった。各チーム今のこの戦力が即、来年の実力とはならないものの、来シーズンを占うための大会には十分なりうるというもの。
とりあえずごちゃごちゃ言わずに、例によっていきなり入場行進にいってみたい。全20チーム、プラス宮前Queens、文字通りそろい踏みなんである。(※若干順不同になる)





さてQueensは宮前が誇る女子野球チーム。所属母体は宮前区少年野球連盟なんであるからして、いわば宮前の「宝」なんである。宝だから特別に2枚写真を掲載。最後にお知らせ付きなので、途中で退席しないでね。

昨年度優勝の富士見台ウルフから優勝旗の変換。そのチームが年が明けて今年の快進撃はご存知のとおり。会長挨拶に続き協賛社である東栄タクシー真田さんからご挨拶。
※このブログでは公人となる方々は実名漢字表記にしている。


衆院議員山際さん、神奈川県議持田さん。(連盟顧問である)

今日は横浜市長を歴任し前衆院議員の中田宏さんもいらした。同じく当連盟の顧問でもある。最近はフジTV「バイキング」では歯に衣着せぬ辛口のコメンテーターとしても活躍。筆者も昼休みには毎週観ている。17年ほど前に筆者の娘と中田さんのご家族とこの第一公園で写真を撮ったことを、昨年お会いした時に話をし談笑、名刺交換をさせていただいた。そしたら一週間後中田さんからお礼の封書の手紙までいただき、恐縮したことがある。アグレッシブでかつ誠実なお人柄と感じ入ったものだった。手の切れそうなバリバリのスーツに身を包み登場。でもご本人は実に気さくな方なんである。

選手宣誓はフォルコンズの主将Sekimizuくん。

おっと選手たちを正面から撮ってみよう。右のQueensから。



更に例によってコーチ、丘の上のギャラリーも左からベロンと舐めてみる。もし変顔で写ってしまっていてもそれは筆者は責任は負えない。あしからずなんである。



さてさてQueensから大切なお知らせなんである。
本日開会式前にQueens勧誘のチラシを配った。数週間前に母会代表のImanishi母から依頼があり、募集チラシを制作することに。これは以前有馬フレンズで作ったものをベースにしてアレンジしたものだ。チラシ右下の携帯電話のイラストはまだスマホがなかった頃に筆者オリジナルで描いたもの。ガラケーのままである。チラシ配布はやはり人が集まらないといけないとの危機感からだった。女の子を見つけてはQ姫と母たちが声をかけてチラシを手渡すという、健気でアナログな作戦。これをご覧の宮前の女の子及び親御さんへ。是非女子野球Queensへお気軽にどうぞ。女子チームでは少年野球チームでは味わえないまた別格の成長が見られるに違いない。少年野球チームに所属していても、また無所属でも全然OK。年間いくつかの女子だけの大会にも参加します。詳しくは下のチラシをご覧あれ。
第一試合前にヤングホークスの母、SashikiさんKurashigeさんにチラシを持ってもらってパチリ。Q姫YurikoとAyakaの美人母二人なんである。

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2016年11月4日金曜日

現場ではわからないこと

3日は午前中仕事をして午後有馬ドームへ。残り少なくなった試合、6年生の南部リーグ、VS松風スラッガーズ戦なんであった。
監督は言わずと知れたAbeちゃんことAbe監督。背中に物差しを入れたように背筋のピンとした連合艦隊司令長官なのは、このブログのヘビロテユーザーなら周知のはず。
QueensのAkaneもセンターで先発メンバーだった。

マウンドはF、6年Tomoki。なかなか良い写真が撮れた。いつも思うのだけれど、リアルタイムで現場で投球を観ているのと、写真を撮ってあとでその子の静止画を見るのとでは大きな違いがあるんである。それはその表情だ。現場では一瞬のことなのでわからないけれど、写真の上ではそれが如実に克明に立ち現れるのだった。その表情とは我々が想像しているよりも、概ね必死の形相をしていることが多いんである。打者の場合もしかりだ。
現場ではなく、あとで写真を検分してみて初めて分かることって、私たちが想像してる以上に多いのである。昨年のピッチャーKyohのペロリと舌を出して投げる「ペコちゃん投法」などもその一例である。本人ですら全く意識していなかったらしい。
「事件は会議室ではなく現場で起きる」ものだが、やはり机上で分析しないと分からないこともあるのだ。

松風打線。キャッチャーのIbataくんは前回対戦時に見た時よりも一段と大きくなったように思う。その風格は中学生に匹敵するんじゃないかと。まさに「スラッガー」(強打者)の風貌である。

松風先発はKobayashiくん。
Fは4回に、このところチャンスでタイムリーを放つ活躍が目立つKunjiの安打などで4得点。


突然ではあるけれど、今年ずっと母マネージャーとして陰になり日なたになりチームのために一所懸命頑張ってきたTomoちゃんのショット。我がフレンズ美女母軍団の一角を担う彼女。今日もずっと立ちっぱなしで応援し子どもらにハッパを掛け、試合中一人ひとりを支えて頑張っていた。ありがとう、なんである。写真左下にモグラたたきのように頭半分写っているのは、バレーボール繋がりの盟友Natsukiである。一昨年は彼女が母マネだった。

試合は5:2でフレンズ。
試合後の夕まぐれ、これは6年生と監督Abeさんとの写真撮影かな。松風母たちがみんなで記念撮影していた。いろんな想像は出来るけれど、たぶんこの時季になるとどのチームにも見られる光景なのだろうと思う。Abeさんが嬉しそうに画角に納まっていた。
そろそろ銀杏の樹も色づく季節、秋も深まってきた今日この頃だった。

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2016年11月3日木曜日

良い歳の重ね方

人の「誕生日」を教えても罪にはならないが、
人の「生年月日」を言うと、個人情報漏洩だなんて言われかねない。
いやはや困ったもんだの、とかくこの世のは住みにくいになったものである。
てなわけで、有馬フレンズ代表Yanagisawaさんは、今年10月ウン日にウンじゅうウン歳になった...と書いてしまっては実もフタもないではないか。のちに写真にも出て来るのでバラしちゃおう。御年73歳なんであった。それでもいまだに針をも通す正確無比のノックと、子どもたちへの厳しくも愛のある指導、監督を勇退してもチームの心の柱として今なお、その輝きと存在感は健在なんである。筆者は息子娘が入部して以来、親としてまたOBコーチとして約20年来のおつきあいになるが、その20年間少年野球に対する思いはたったの1ミリもブレていない。ここ5,6年間だろうか、毎年「俺はもう代表を辞める」と言うのを筆者は公の場で或いは水面下で必死に慰留に努めてきた。昨年は全国大会出場を果たしたが、それはYさんの長年の夢だった。チーム代表としてそれが叶って本当に良かったと思うのであった。

※ブログ執筆途中ではあるけれど、これはフジTV「アンビリーバボー」の広島カープ黒田の特番を観ながら書いている。今終わった。いちカープファンとしていち黒田ファンとして幾度も涙が頬を伝う。年下なのに自分よりも人生の大先輩のような錯覚に陥る。いや実際そうだと思う。
ところで日本シリーズのこと。ブログであれを思い出し書くことは出来ない。思い出すと頭が痛くなり、書こうとすると手が震えるからだ。

さてそのYanagisawa代表の「お誕生会」的オトナの飲み会が開催された。母マネTomoちゃんが苦労して計画し、加えてOBたちも参加して盛会となったんである。
iPhone7でムービーを撮ったのだが、ここではスマホでは観れないと思うけど、それでもアップしてみる。PCなら正常に観れるはず。
これは会が進行してほどなく経ったころ、突然居酒屋の照明が落ちてバースデーケーキが運ばれて来たシーンである。

OBにも声をかけたらここ数年来のOB母たちがわんさと駆けつけたんであった。元監督のOhtsuboさんも参戦。これもまたY代表の人徳のなせる技であるに違いない。OB母には絶大な人気を誇る代表なんであった。しかし本人はそんなこともあまり意識していないところがYanagisawaさんのYanagisawaさんたる所以(ゆえん)である。この歳になってもまだ煩悩に苛まれている矮小な筆者とは格が違うわけで。
高校生やすでに社会人となったOBの子どもたちからも走り書きのお祝い寄せ書きが届く。

これを皮切りに現役チーム、現役母たち、OB母たちからも続々といろんなプレゼントが手渡しされる。
場は一気にヒートアップ。なにしろAkaneちゃん始めOB母たちの盛り上げ方が上手いのなんの。筆者にとってもここ数年とはいえ、笑いと涙と懐かしくも楽しい時間を共有してきた母たちなのでとても嬉しく思うのだった。

2020年東京五輪のポロシャツも。


それにしても驚いたのは新しくなったiPhone7なんである。先のムービー動画といい、これらの写真といい、iPhoneで撮影したもので実に鮮明である。以前の5ならこんな薄暗い部屋ではとても鮮明な画像は望むべくもなかった。一眼レフで撮ったものと全く遜色ないどころか、下手すりゃそれを凌駕して余あるんであった。びっくらこいてしまう筆者であった。
「ハイハイ撮るよ〜。ほっぺにチューしちゃって」とはやし立てる俺。臆面もなくそれに応えるShinoちゃんとKeiちゃん。OB母たちに囲まれていつもより代表の鼻の下が2cmほど伸びたように思ったのは私だけではあるまい。会の最初にKaneda顧問が乾杯の発声のために立ち上がろうとした時だった。「膝が痛いんだから立たせるなよ〜」と言った。それを聞いた代表がこっそり言った「俺たちはあっちもこっちも立たなくなってしまったなあ」と。筆者とその周りの数人が爆笑ウケる。昔の代表なら厳格で良い意味で頑固オヤジで、そんなことは微塵も言わない人であったが、歳とともに丸くなった。そんなジョークもぽろりと言うようになった。その転機はお孫さんが出来た頃からだったと思う。

生まれてからずっと生涯野球一筋で、羨ましいほどいい感じで歳を重ねてきた人がここにいる。
これからもよろしくお願いします。


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